ドイツ政治における変化と継続:ポスト・ショルツ政権の動向を占う
安定した民主政の下で改革は可能か?
他方でドイツが直面する課題は大きい。ロシアからの安価なエネルギー供給と中国輸出市場を利した経済モデルは行き詰まっている。国内インフラの老朽化と設備投資の必要性は、メルケル政権時から指摘されている課題である。またEU域内での最大規模国家として、さまざまな困難に際してドイツのリーダーシップが求められる機会は多い。 にもかかわらず、国内の政治力学から考察した場合、ドイツ政治に大きな変化が生じる見通しは上述のように小さい。難しいのは、国全体の経済に悲観的な予測を示す国民は多い一方、自己の経済状況についての悪化を予測する者は少ないことである。つまり、現状維持圧力は高いのである(※5)。 もっとも、トップダウン型の政治指導者が、悪くすると独善的な政治的行動によって民主政の価値基盤を揺るがすことや、そこまで至らずとも社会の分極化を悪化させ、冷静な政策的議論を不可能にすることも21世紀の民主政は経験してきた。そのような危険からは、現在のドイツは遠いといえるだろう(※6)。 しかし現在の民主政において、政権の中核を担うような主要政党は、多様な有権者を引き付ける必要から,多重的な票のトレードオフを自らのうちに抱え込んでいる。それゆえ「政党としての合理性」の観点からは、現状を離脱する路線転換を始めることは難しい。約四半世紀前にドイツがヨーロッパの病人扱いされていた際には,当時のシュレーダー首相(社民党)が党勢の低下を前に、ある種の政治的ギャンブルとして大胆な改革をトップダウンで行った。しかしその政治的代価は、左派の一部離脱と党勢の低下という形で社民党自身が支払うことになった。 ドイツの抱えている困難は、安定と革新、妥協と決断の両面を要する民主政そのものの困難でもある。
注釈
(※1) Sarah Wagner, L. Constantin Wurthmann & Jan Philipp Thomeczek, “Bridging Left and Right? How Sahra Wagenknecht Could Change the German Party Landscape” Politische Vierteljahresschrift. 64:3, 2023, 621-636. なお本稿では一貫してキリスト教民主党として表記しているが、正式にはバイエルン州のキリスト教社会同盟と、その他の州でのキリスト教民主同盟という別の政党が連邦で共同会派を構成するという形をとっている。 (※2) 代表的な世論調査として、ドイツ第二公共放送のPolitbarometerが最も頻繁に言及される。 (※3) 連邦参議院の票決は、規模に応じて各州に与えられた持ち票に基づいて行われる。全69票のうちキリスト教民主党が首相を務める州の票が37ある一方、社民党が参加している政権の票が47(州首相を務める州の票は26)、緑の党が参加する政権の票も32に及ぶ。このほか自民党、左翼党、ヴァーゲンクネヒト同盟も州政権に参加している。 (※4) Tim Rühlig and Richard Q. Turcsányi, “Skeptical and Concerned - How Germans View China”. DGAP Policy Brief, 29, 2023. 「EU の対中国政策―EUから見る中国―」日本経済団体連合会21世紀政策研究所,2024. (※5) 2024年12月第1週時点でのPolitbarometer調査によれば、ドイツの経済状態を悪いとする回答が43%、五分五分とする回答が48%に及ぶのに対し、自己の経済状態については良いが58%を数え、悪いとする回答は9%に過ぎない。 (※6) Will Horne, James Adams and Noam Gidron, “The Way we Were: How Histories of Co-Governance Alleviate Partisan Hostility.” Comparative Political Studies. 56:3, 2003, 299-325. Hyeonho Hahm, David Hilpert and Thomas König, “Divided We Unite: The Nature of Partyism and the Role of Coalition Partnership in Europe.” American Political Science Review.118:1, 2024, 69-87.
【Profile】
網谷 龍介 AMIYA-NAKADA Ryōsuke 津田塾大学学芸学部教授。専門は欧州比較政治、欧州連合(EU)研究。1968年、山口県生まれ。東京大学博士(法学) 。神戸大学法学研究科教授、明治学院大学教授などを経て2011年4月から現職。