能登半島地震で夢だった古民家が「半壊」し……はじめた「金継ぎ」ボランティア
日本の伝統的なうつわの修復技術である「金継ぎ」。美術家のナカムラクニオさんは、主宰するスペース「6次元」で定期的に金継ぎ教室を開催しています。自身のアトリエを構えるため、昨年には輪島市と珠洲市に古民家を購入し、改修を続けていました。 【写真】能登半島地震で夢だった古民家が「半壊」し…はじめた「金継ぎ」ボランティア その矢先に発生した能登半島地震で、購入したばかりの古民家は半壊。無事であった小屋を拠点として、震災で割れてしまったうつわを無償で直す「金継ぎボランティア」をはじめます。その道のりを、ご本人が振り返ります。
築100年の古民家が大規模半壊
能登半島の輪島に通っている。昨年、手に入れたばかりの古民家が能登半島地震で大規模半壊してしまったので、いろいろと手続きや片付けなどがあるのだ。 石川県金沢市から穴水町へは、「のと里山海道」を通って行く。しかし、この経路が、大きな被害を受けた。地震によってところどころ道路が寸断されている。穴水湾沿いの一般道が、輪島や珠洲へと通じる道となっていた。 明け方5時くらいになると、一斉に車がこの道を通過する。自衛隊、警察、工事車両、復興支援の関係者がみなこの穴水湾の朝霧を見ながら、能登に通勤していた。見たことがないような海の色だ。まるでターナーの水彩画のようだった。
何度もタイヤがスリップ
現在では、工事車両は以前と比べ少なくなったが、それでもまだここは重要なルートだ。車で走っていると、至る所で土砂崩れが起きていた。電線も電柱ごと倒れて、道に転がっていたり、信号機も曲がっている。郵便ポストも根元から折れて、横たわっていた。 気をつけないと車のタイヤが道路の亀裂に挟まりそうになる。人生で初めての経験だった。凍結した路面が、鏡のようにツルツルになっていて、何度もタイヤがスリップした。道路には横転した車が放置されていた。とにかく色々な風景が壮絶で、自然の圧倒的な力を感じた。
改修しはじめた矢先のできごと
2024年1月1日の地震発生時は、東京にいたのだが、まさか自分の家が被害を受けるとは思わなかった。輪島で手に入れた夢の古民家は、一瞬で壊れてしまった。これから改装してアトリエに……と計画を立てて、修理し始めたところで地震が起きた。 建物全体は倒壊していないものの、壁や床などほとんどが壊れ、住むことが不可能だという「大規模半壊」の認定だった。 輪島は、古くからの工芸の町。特に漆器の産地として知られている。20年ほど前に取材で訪れて以来、何度も通っていた。 能登半島の「能登(のと)」とは、アイヌ語で「岬」を意味する言葉だと言われている。能登の中核となる「輪島(わじま)」は、古代から大陸の人に「倭島」と呼ばれたことが語源だ。とにかく古い文化がたくさん残っているのだ。 輪島の家は、門前町という場所にあって、1321年に開創された曹洞宗の寺院、總持寺祖院の近くだ。總持寺は、もともと永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山として栄えてきたので門前と呼ばれるようになった。古くから「禅の里」だ。 門前町といっても我が家は、町の中心から離れた集落の、さらに角地にあるので、家のまわりはひっそりしている。まるで昔話の世界のようにも感じる。「桃太郎」や「さるかに合戦」がはじまりそうな雰囲気の場所だ。雪が降ると、あたりは真っ白で映画のワンシーンのようだ。