75歳「農業から不動産賃貸業へ」半世紀後の相続対策
不動産賃貸会社を経営しているIさん(75)。もともと実家の農家を継ぐ気はなく、大学卒業後、会社員生活を送るつもりでしたが、思わぬことから、この半世紀の間、実家の所有する土地活用に専念することに。税理士の広田龍介さんの解説です。【毎日新聞経済プレミア】 ◇最初の確定申告で驚き Iさんの家は代々農業を営んできた。Iさんは3人きょうだいの長男だが、大学卒業後は、不動産会社に就職し、実家には休みの時に戻るぐらいだった。 だが、実家近くに工場の進出計画が持ち上がったことがIさんの転機になった。 仕事柄、工場が従業員の社宅を建築してくれる地主を探しているという情報がIさんの耳に入ってきた。 調べてみると、工場が求めているのは、食堂や浴場などの設備を備えた鉄筋5階建ての本格的な社宅だった。 30年の賃貸契約で一括借り上げするが、期間満了後も延長できるという。家賃は、共用部を含めた総床面積で計算するため、利回りは15%と高く、建築資金は7年間で回収できる計算だ。地主にとってはかなり好条件だった。 Iさんが実家にこの話を伝えると、両親は大乗り気になって手を挙げ、トントン拍子に話が進んだ。 だが、土地を所有している父親には賃貸管理の知識が全くない。父親から乞われ、不動産に詳しいIさんが社宅の建物の名義人を引き受けることになった。 行きがかり上とはいえ、賃貸経営に実際に乗り出してみると、思いもよらぬことも多かった。 Iさんが最も驚いたのは、最初の確定申告だ。当時の所得税・住民税の最高税率は88%。建物登記や不動産取得税などの費用や、借入利息などの経費が発生したため、不動産所得は抑えられていたが、それでも納税額は高額だった。 確定申告では、不動産所得と給与所得とを合算するため、会社からの給与も税率が高くなる。Iさんは果たして来年の納税はできるのかと不安になったほどだ。 ◇不動産賃貸の経営手法は ただし、仕事柄、所得税対策で悩む顧客が多いことを知っていたため、自分の節税対策についても大筋では理解していた。 節税対策としては、まず、銀行融資を受けて新たに不動産を購入し、減価償却費を計上する方法がある。また、賃貸管理の会社を設立する方法も効果がある。管理手数料として経費に計上できるからだ。 しかし、不動産会社に勤務しながら、自分で不動産会社を設立・経営するとなると、競業避止義務に抵触してしまう。 考えた末、Iさんは、思い切って会社を退職し、管理会社を設立して、不動産賃貸業に専念することにした。 脱サラした以上、社宅1棟だけではなく事業を広げることを検討した。 考えたのは、実家から離れたところにある農地の活用だ。両親も、実家近くの農地の作業はあまり苦ではないが、離れた農地となると作業道具や収穫物を持ち運びするのも大変そうだった。 そこで、農地を宅地転用し、賃貸物件を建築することを両親に持ち掛けた。最初は、貸家やアパートが頭にあったが、近くに主要道路があることから、需要が見込める倉庫の賃貸に切り替えた。 一方、節税対策についても検討した末、管理会社が建物を所有し、賃貸収入の全額を会社収入にするのが最も妥当だという結論に達した。Iさん個人の不動産所得はなくなり、Iさんは会社の役員として役員報酬を受け取るという方法だ。 もともと会社の管理全般はIさんが行っているのだから、会社が建物を所有し、会社が家賃収入を得ることは問題がない。 それまで、敷地はIさんが両親から借り、固定資産税程度の使用貸借で運用してきたが、会社所有にすると会社が借地をすることになる。そこで、土地の賃貸借契約をきちんと行い、会社の借地権課税を回避するため、無償返還の届出書を提出するなどの対応もした。 会社から地代の支払いをすれば、両親も不動産所得を確保でき、農業から転業して楽をさせることもできた。 ◇相続対策視野に「次は個人名義」 こうしてこの半世紀を振り返えれば、事業を法人化し、建物名義を会社に移したIさんの決断は功を奏し、事業経営はまずまずの成功だったといえる。 だが、そのIさんも終活を考える年齢になり、次の判断を迫られている。 実家の周辺は住宅開発が進んで環境が変わり、半世紀前に進出した工場は移転することとなった。社宅は不要になり、契約の解除と建物の取り壊しを行う予定だ。跡地にはマンションを建てる計画だが、相続対策を考えれば、今度は個人名義で建築するのがよさそうだ。Iさんは時の流れをしみじみ感じている。