熊本地震、1年過ぎ変わる支援の課題 次の災害へ「備え」模索
熊本地震は発生から1年が過ぎて、ボランティアセンターの閉鎖など支援の縮小も伝えられています。しかし、熊本県内では今も約4万5000人が仮設住宅などで暮らし、県外で避難生活を続ける人も600人以上いると見られています。現地の支援関係者が「長丁場だ」とする復興には今後どんな課題があり、それを乗り越えるために何ができるのでしょうか。 【写真】2度の「震度7」や届かない物資……熊本地震の教訓「7つの備え」(上)
重機など専門的な作業はまだ必要
最大の激震地だった益城町(ましきまち)で4月22日、災害ボランティアセンターが最後の活動を終えました。昨年4月21日の開設以来、全国から延べ約3万6000人のボランティアが参加。がれきの撤去や住宅の片付けなどの作業を担ってきましたが、1年が経って住民からの依頼が減ってきたため、センターは閉じられることになりました。 しかし、今後も依頼があれば町社会福祉協議会が窓口となって支援は続けられます。また、益城の北に位置する大津町では5月以降もボランティアセンターが運営される予定です。 さらに「専門的な作業は県外の支援者に頼る部分がまだ大きい」というのは、地元で支援活動を取りまとめる「NPOくまもと」理事の樋口務さんです。 被災家屋の取り壊しは、公費解体の制度があっても熊本県全体で6割弱(3月末時点)しか工事が進んでいません。樋口さんによれば、倒壊したままの家屋から家財を取り出したいという住民はまだ少なくないそうです。また、倒壊を免れた家屋でも、屋根にブルーシートを張ったまま住み続ける人が多く、夏の台風シーズンに向けてシートの張り替えが必要になっていきます。そうしたときは一般的なボランティアではなく、重機を使ったり、高所での作業ができたりする人や団体に動いてもらわなければなりません。 地震から1年を機に熊本を離れてしまう県外の団体もあり、「専門性のある人たちが出ていってしまうと、現地の活動はかなり厳しくなる」と樋口さんは憂慮しています。
「埋もれる」みなし仮設の実態
県内外の支援団体は「火の国会議」と呼ぶ情報共有の場を、本震3日後の昨年4月19日から毎日開催。ピーク時は全国のNPOや行政、社会福祉協議会など300団体以上が参加し、東日本大震災で課題とされた団体間の連携や支援の「もれ」「むら」をなくすような調整を続けました。現在、参加団体数は減少していますが、会議は週1回のペースで開かれています。 一方で地元の団体が主体となり、昨年11月に「くまもと災害ボランティア団体ネットワーク(KVOAD=ケイボアード、Kumamoto Voluntary Organizations Active in Disaster)」が設立されました。各市町村単位で被災者の支援に当たるNPOや住民グループ、社会福祉協議会の情報を集約し、さらに産官学の知恵や資金を生かして対応しようと調整を重ねています。火の国会議をはじめ、今回の災害で得た支援のノウハウを一過性に終わらせず、息の長い復興支援や今後の防災の取り組みづくりにつなげることも狙いです。 KVOADの代表も務める樋口さんは、「1年を越え、初動と違う支援の課題が出てきている。みなし仮設のことなどは、地元で初めての経験なので分からないことが多い。東北などでの事例を教えてもらいながら対応していきたい」と言います。 「みなし仮設」は国や自治体が借り上げたり、被災者が自力で借りたりした賃貸住宅を仮設住宅とみなして、行政が家賃などを負担する制度です。仮設住宅の供給不足を補うことはできますが、被災者が一般の団地やアパートに分散し、「埋もれて」しまう恐れがあります。行政側も個人情報だとして民間に情報提供をしないことが多く、余計に支援の手が届かなくなってしまいます。KVOADの関係者もみなし仮設の入居者をできるだけ把握して見守るようにしていますが、残念ながら4月に入り県の調査で、みなし仮設の入居者3人が孤独死していたことが分かりました。 みなし仮設は熊本県外にも広がっており、一層状況がつかみづらくなっています。関係者は行政の協力を取り付け、住所の分かる県外避難者460世帯ほどに熊本の地元紙を毎日届ける事業を始める計画です。きめ細かな情報が載る地元紙で、復興の状況はもちろん求人情報なども伝え、県内に戻る判断材料にしてほしいとの願いも込められるそうです。