伝統芸能「御陣乗太鼓」担う輪島の男たち、140キロ離れた場所で練習…「必ず地元で再起する」
石川県の伝統芸能・御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)を担う輪島市名舟町の男たちが、450年の歴史を絶やすまいと奮闘している。年間約1000回の公演をこなしていたが、能登半島地震で日常が一変し、打ち手も避難生活で散り散りとなった。140キロ離れた場所で練習を再開し、「必ず地元で再起する」と力を込める。(金沢支局 池下祐磨)
「ヤアアア!」。今月8日、同県白山市の白(しら)山(やま)比(ひ)●(め)神社に設けられた舞台に、鬼や幽霊の面をつけたたくましい男衆6人が素足で登場した。代わる代わる、バチで太鼓をたたく。約20分間の公演。地響きのような音がやむと、100人超の観客から割れんばかりの拍手が湧き起こった。(●は口偏に「羊」)
舞台袖に戻った御陣乗太鼓保存会代表の槌谷博之さん(57)は「見ている人が感動し、拍手をくれる。本当に励みになる」と汗をぬぐった。
日本海に面した名舟町は約60世帯の小さな集落だ。槌谷さんらはここで、御陣乗太鼓を代々守ってきた。男の子は小学生になると地域で習い始める。打ち手は現在18人。槌谷さんも高校卒業後、会社勤めの傍ら輪島の宿や観光施設で毎晩のように公演し、昨年の国民文化祭では天皇、皇后両陛下に披露した。
しかし、太鼓中心の生活は元日に一変した。約30キロ離れた別集落にある妻の実家で激しい揺れに襲われた。土砂や倒木で寸断された道を自力で開き、自身の集落に戻ったのは1月5日。保存会事務局の建物は瓦がほぼすべて落ちていたが、受け継いできた面や太鼓は奇跡的に無傷だった。
ただ、仲間は2次避難所の宿泊施設などに身を寄せ、バラバラに。槌谷さんも自宅の基礎が傾き、今は金沢市のアパートで暮らす。幸い、同市の隣の白山市でスタジオを確保でき、2月上旬から練習を再開した。
週1回、数人しか集まれないが、槌谷さんは「小さな町全体で受け継いできた。生活の一部でもあり、この代で途絶えさせるわけにはいかん」と燃えている。