気づき、思いやり、関わる 世界で注目される「観想教育」とは
観想教育における日本のポテンシャル
日本の道徳教育は戦前の修身(道徳)が軍国主義的な教育であったことから、戦後行われてこなかった。ところが2018年に小学校、2019年には中学校で、主にいじめ対策として特別の教科と位置付けられ復活した。しかしながら、まだまだ試行錯誤の段階で、しっかりと体系づけられていないのが現状だ。 SEEラーニングは発達心理学的な研究に基づいて策定された世俗的なプログラムであり、教科書的ではなく身体性を重視しており、自分で感じて納得いく答えを出していくプロセス。現代の子供たちが必要としているアプローチなのではないか、と井本は考えている。 「紛争や環境破壊などの地球規模の問題へのアプローチとして、コンパッションが重要なのは分かっていますが、それをいきなり考えようというのもなかなか難しい。でもSEEラーニングでは、友人関係や教室の中での衝突といった小さなレベルの実践が、地球レベルの出来事とつながっていることを体感できるようになっています。そのような地球規模の全体性を有しているのもこのプログラムの魅力です」 実は観想教育の分野で、日本は海外から注目されているという。日本ではもともと、特に幼児教育や初等教育では、挨拶やいただきます・ごちそうさまにはじまり、手伝いや掃除、動植物を大切に育てるなど、集団として気づきや思いやりを育む情操教育が行われてきた。書道で集中力を養ったり、感想文を書くようなリフレクションをたくさん行うことも、日本ならではの教育として息づいている。 一方で偏差値重視の統一テストや受験、就活制度、テクノロジーの浸透による注意制御の欠落の問題なども抱えている。井本は「せっかくマインドフルネスやコンパッションを育む文化的土壌があるので、それをいかさないともったいない」と、日本が観想教育をリードしていけるポテンシャルを示す。 実は井本、小中学校はイギリスで過ごした経験を持つ。「裕福な白人ばかりの学校で、マイノリティのアジア人という環境で育ちました。特に差別されて悲しい思いをしたという記憶はありませんが、異質な存在であるという認識は常にありました。だから人が文化を超えてつながったり、異質と感じているものとも共通性があることに関心を持ち、文化人類学者になったんです。どうしたらアイデンティティを尊重し学び合いつつ、それを超えて同じ人間としてつながれるのか、が私の人生のテーマです」。