篠山紀信、大いに語る【前編:昭和~平成】三島由紀夫から女性目線の最新作まで
三島由紀夫『男の死』公開の可能性は
篠山は『Death Valley』、『Twins』、『Nude』など次々と傑作を世に送り出すなか、60年代終わりから70年代の初めにかけて三島由紀夫を撮っている。三島はカメラの前で聖セバスチャン(キリスト教の聖人で、絵画では矢を射られた姿で描かれることが多い)はじめ、さまざまな人物の死に様を再現した。しかし写真集になるはずだった『男の死』は、日の目を見ることなく今日に至っている。最後の撮影から1週間後、三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げたからだ。1970年(昭和45年)11月25日のことだった。 すでに昭和は終わり、いま平成も終わって新たな時代を迎えようとしている。この幻の写真集が全面公開されることはないのか。 「わかりませんが、僕が生きている間はないかもしれない。男の死をテーマに三島さんがいろいろな死に様を演じて、その直後、スキャンダラスな亡くなり方をした。平然と写真集を出すことはできなかった。世間は興味津々でも、ご遺族のことを考えたら……。いつか発表出来る時代になったらと思っているうち、こんな長い時間が経っちゃった」
芸能人グラビアのみではない篠山の写真
その後、70年代から80年代にかけては雑誌など出版の隆盛に寄り添い、“激写”をはじめ週刊誌や月刊誌で精力的に作品を発表したが、山口百恵はじめ芸能人のグラビアのみならず、デビュー当時のロックバンド・キャロルや歌舞伎の女形・坂東玉三郎など多彩な人物を撮った。 また、“激写”が登場した1975年には新しいドキュメンタリーの地平を開いたといわれる『晴れた日』や、日本の民家や廃墟、銭湯、郷ひろみ邸などさまざまな家を静かに写しとった大判写真集『家』を出版。80年代には『シルクロード』など、その時々に突出して注目されたり流行したものを次々とカメラで捉えた。
やはり時代が僕に撮らせているんだなって
「当時、NHKが日曜夜に、ものすごい予算と時間をかけた『シルクロード-絲綢之路(しちゅうのみち)-』という日中共同取材の番組を放送していた。喜多郎さんの音楽も相まって大ヒットした。そういうときには僕は、シルクロードに行ってみようって思うんです。やはり時代が僕に撮らせているんだなって、感じがするんですよね」 そんな篠山が90年代、平成になってまもなく世間を賑わしたのが“ヘアヌード”だ。後編では、ヘアヌードブームの渦中にあった頃のエピソードをはじめ、写真家とモデルとの関わり方などについて聞いていく。 【後編:平成~次代】へ (取材・文・撮影:志和浩司)