篠山紀信、大いに語る【前編:昭和~平成】三島由紀夫から女性目線の最新作まで
面接に持参したのはリンホフとハッセルではない
78歳になる篠山だが、60年代に写真家デビューしキャリア50年を超える。いまだ新鮮な感覚で、常に新しいものに向かう姿勢には衰える気配さえない。何が駆り立てるのか。 「やっぱり“時代”ですよ。時代によって面白い人や出来事、面白いものが次々と生まれる。それに敏感に反応し、果敢に寄って行って、一番いい角度から一番いいタイミングでシャッターを押す。それがその時代の一番いい写真ではと思って、ずっと撮っています」 ただ、最初から写真が好きだったわけではないと振り返る。 「僕はお寺の次男坊。兄貴が継ぐので僕は自由に進路を選べた。当時の価値観では、いい大学に入っていい会社に勤めて定年まで働くのが理想とされていた。ところが、志望校に落ちたんです。普通は浪人するんだけど、そのとき、いい会社に生涯いるというのが本当に面白いことなのかなって、疑問を感じたんです」 高度成長期、国全体に活気が満ちる中、写真の業界も元気だった。興味があったわけではないが、「写真を仕事にするといいんじゃないかな、と」思ったという。そこで日大芸術学部の写真学科に入ったが、それだけでは飽き足らず、東京綜合写真専門学校にも通った。専門学校を2年で卒業する頃、広告制作会社ライトパブリシティからカメラマンの求人があった。まだ日大の3年だったが、周囲の勧めもあり受けてみたら合格。このとき、面接でハッタリをかますためリンホフ、ハッセルブラッドという当時高価だった海外製カメラをぶら下げて行ったというエピソードが残っている。 「伝説としては面白いけど、さすがにそれはない。リンホフやハッセルで撮った作品を持って行ったんです。学生時代から白木屋(東急百貨店の前身)の広告を撮っていて、面接で作品を見せろと言うから印刷物を持参したら、『お前ハッセルとか持ってんのか』と聞かれたので、持ってると答えた。生意気な野郎だと思ったでしょうね(笑)。そんな話がまわりまわって、実際にカメラを持って行ったという話になっちゃったんでしょう」