朴葵姫、デビュー14年で挑んだオール・バッハへの思い
日本と韓国を拠点に活動するギタリストの朴葵姫(パク・キュヒ)がデビュー14年目にして初めてオール・バッハに挑んだアルバム『BACH』がリリースされた。これに合わせて5月から秋にかけて全国ツアーを実施。5月12日(日) には紀尾井ホールにてリサイタルが行われる。集大成ともいえるこのアルバムに込めた思い、ツアーへの意気込みを語ってくれた。 【全ての画像】朴葵姫『BACH』ジャケットデザイン ――これまでどちらかというとスペインをはじめとしたラテン系の楽曲、近現代の音楽家の作品を演奏することが多かったかと思いますが、このタイミングでバッハに挑むことになった経緯は? 「いつかバッハを録音したい」という思い、バッハへの憧れは多くの演奏家が持っているものだと思いますし、私自身もキャリアにおける大事な目標として、20代の頃からバッハへの挑戦への憧れはありました。 ただ、その時に100%の力でお届けできるもの、みなさんと共有したいと思う楽曲がロマン派であったり、感情豊かなドラマチックな曲であったりしたことが多かったというのもありますし、南米の師匠の影響もあって、その時々で共有したい音楽をやってきた結果、バッハが後回しになってしまったというのはあります。 自分の中では自然な流れで、ひとりでバッハを演奏したり、「いまならみなさんにお見せできるかも」という気持ちが芽生えてきました。1年半くらい前から「次にアルバムを録音するならバッハをやりたい」と決めていました。 年齢的な部分でも、30代後半になって、音楽に対する感情が徐々にシンプルになっていったという部分もあります。若い頃はカッコいいものを全て取り入れて、その全てを使い切りたいという欲があったとしたら、いまは逆に無駄なものをちょっとずつ削ぎ落して淡々と……でも、気持ちが伝わるような音楽が好きになってきて、その感情はバッハを深く勉強するにはすごくためになるものだと気づきました。
「聖書のような存在」――自分なりの解釈で挑んだバッハ
――実際にバッハに向き合ってみていかがでしたか? 私にとってバッハは“聖書”のような存在なんです。聖書というのは、ひとりの人間が専門家として一生を捧げて追及しても、完璧には解釈することができない深いものですよね。時代をまたいで多くの学者が解釈に挑んでいるわけで、バッハも音楽家にとってはそういう存在だと思います。 だから今回、最初から「完璧にやろう」とか「うまく弾こう」という気持ちはなくて、できる範囲で自分の解釈をしようという思い――それぞれの意見、解釈が共存できるし、自分の解釈はそのひとつとして反映することができたらいいという思いで挑みました。 そういう意味で自分の中で「こういうふうに弾きたい」という気持ちはハッキリしていましたし、音楽的な苦労というのはあまりなかったです。ただ、テクニカルな部分で同時にいろんなことを考え、演奏しなくてはいけなくて、そこはすごく大変でした。 ――具体的なコンセプトや選曲の理由についても教えてください。 コンセプトは、なじみのある、自分が小さい頃から聴いたり、弾いたりしてきた曲から選ぶことを大事にしました。個人的にはバイオリンソナタは第2番が好きだったんですが、いまの自分の気持ちだと、明るいバッハを弾きたいという気持ちもあって、調で決めたところもあります。 シャコンヌ以外は明るく温かく、スーッと入ってきて心が穏やかになるような楽曲――バッハは調和的で、安心する気持ちになる音楽なんだと感じてほしいと思って選びました。 ――シャコンヌに関してはどのような思いで? シャコンヌは10代から何年かごとに弾いてきて、解釈のアプローチも今回のアルバムのほかの曲と違って、どちらかというと私がこれまでにコンサートのプログラムに取り入れてきた楽曲と近い方向性で解釈しています。 どの曲よりもドラマチックで抑揚があるので、10代から表現してきた中で、その時々で解釈や音、表現、呼吸の仕方も変わっています。そこが魅力でもあると思うので、いま、この年齢の私の経験値の中でお聴かせできるシャコンヌを録りたいという、いまの自分を記録するような気持ちでした。 ――このニューアルバムを携えて、5月から11月にかけて全国を回られますが、いまのお気持ちは? ステージに対する思いは常に変わらず、しっかりと準備をして丁寧に仕上げて、もちろんステージ上での結果が大切ではあるんですが、そこまでの過程を感じていただけるような演奏をしたいと思っています。 演奏家はいろんなステージを経験して、失敗や挫折を繰り返しながら仕上がっていくもので、何万回も弾いてきた地道な努力が伝わるステージになればと思っています。 地方を回るということで、久しぶりに友達と顔を合わせるのも楽しみですし、ご当地の食べ物――私は特にそばが好きで、いつも食べているので、地方でどんな味のそばを食べられるかも個人的に楽しみにしています(笑)。 ――5月12日(日) には東京公演が紀尾井ホールで行われます。過去にも紀尾井ホールで演奏されたことはありますが、演奏家にとってどのようなホールですか? 紀尾井ホールは世界で唯一、800人規模でマイクなしでも弾ける素晴らしいホールだと思います。500人以上の規模でマイクなしで演奏できるホールってほかにはないですし、音の響きの素晴らしいです。ギタリスト、ソリストとして、弾かせていただくのが光栄な場所であり、いつも800人のお客様を前にマイクなしって「ありえない!」と思いながら弾いています。 お客様にとっても、この規模のホールで生でギターを聴けるというのはめったにない機会なので、ぜひ楽しみにしていただければと思います。 ――今回、バッハを経験したことで、今後の音楽活動への向き合い方に変化が生まれると思いますか? バッハをこうして一度、レコーディングできたことは、自分のキャリアの中でも大きなことで、ひとつやり遂げたという、自分をほめたい気持ちです。バッハという重厚なクラシックの作品を経験したことで、今後はもっといろんなことを思い切ってやりたいなという気持ちになっています。いろんな人とのコラボもやりたいですし、映画音楽が好きなので、ギター1本で映画音楽を編曲して演奏したいという思いもあります。