「受け入れてもらったという感覚も」有村架純と坂口健太郎が釜山国際映画祭で感じた現地のエネルギー
長期の海外ロケで苦労したこととは
――有村さんは釜山国際映画祭は2017年にも『ナラタージュ』で参加されていたので、もう常連ですね。 有村 いえいえ。やっぱりドキドキしましたね。 ――昨日の上映も大きな劇場でしたし、イ・ジョンジェさん、カン・ドンウォンさんはじめ多くの韓国スターや監督が参加した屋外劇場での開幕式は4,000人もの観客が詰めかけ、お二人も大歓声を受けていましたね。 坂口 開幕式のレッドカーペットも、有名な俳優さんがどんどん、どんどん歩いていく中で、僕らも続いていって。心地の良い興奮と、ちょっとした緊張感と、なんかそういうのが色々混ざって。いい時間になったなと思います。 ――「さよならのつづき」は北海道とハワイが舞台になっていますが、ハワイの場面はニュージーランドで撮っていたと聞いて驚きました。2023年のアメリカ脚本家組合、俳優組合のストの影響だったんですね。 有村 そうなんです。去年でしたから。 坂口 僕は北海道はがっつりと長期で行って。ニュージーランドは架純ちゃんが一番長かったね。 有村 1カ月くらいいました。 ――長期の海外ロケでご苦労はありましたか。 坂口 楽しかった! 有村 私もすごく楽しかったんですが、紫外線が強くて日焼け対策に苦労しました。ニュージーランドは赤道に近いので紫外線が日本の7倍だと事前に聞いてはいたんですが、確かにジリジリして。日本に帰ってきてからも、しみが出来たんじゃないかと心配でしたね。 坂口 苦労というか、今回ハワイの空港という設定で僕がピアノを弾くシーンがあるんです。お話の上では早めに出てくるんですが、あれを撮ったのがニュージーランドでのかなり後半で。だから楽しく撮影をしていて、もうすぐ終わるなあと思いつつ、だけどまだめちゃくちゃ自分の中では比重が重いものが残ってるな、っていうのがずっとあったんです。最後に大きな仕事があるから。
海外ロケは「合宿みたいで楽しかった」
――坂口さんは以前、初舞台「かもめ」(2016)でも見事なピアノを披露されていましたね。 坂口 観てくれていたんですか。ありがとうございます。 有村 私も観ましたよ、「かもめ」。大変だったでしょうね。 ――CREA本誌であの頃に坂口さんにお話を聞いたことがあって、子供の頃に少し習ってはいたけれど、ブラームスは難しかったっていうお話をされていたのがとても印象に残っています。 坂口 大変でした。でも楽しかったですよね。楽しかったけど、やっぱり初舞台だったので、どういうものなんだろうなってのを探りながらやっていたところもあって。そのあと、「ごめん、愛してる」(2017)というドラマでもピアノを弾いたので、今回はそれ以来かな。 ――ああ! 韓国ドラマが原作のあのドラマでは、天才ピアニスト役でしたね。 坂口 でも、あれはクラシックだったんで、なんて言うんだろうな、丁寧にしっかり弾くんです。でも今回は割とノリの良い曲(ジャクソン5の「帰ってほしいの」)だったからまたちょっと弾き方は違う。それに成瀬は心臓移植の影響で急にピアノが弾けちゃってるという設定なので、ただ上手に弾くというのとは違う難しさがありましたね。 ――先に北海道のシーンを撮って、それから南半球のニュージーランドに行ったんですよね? 坂口 はい。北海道では主に夏から秋にかけて撮ったんですが、後半はすごく寒かったし、そこから南半球のニュージーランドに行ったらまた夏のような日差しで、その開放的な感じみたいなものはとてもありました。ただなんか日本食が恋しくなった瞬間はよくありましたね。 有村 健ちゃんはこの作品の間に、別の作品で韓国にも行っていて、全然日本に帰れなかったんですよね。 坂口 そう、北海道、ニュージーランド、韓国、さらにミラノと続いてて、またニュージーランドに戻ってきて、という感じで、半年近く家にほぼ帰ってなかった。だからお米が食べたくて(笑)。韓国のご飯も美味しいけど、日本食とはまた違うから、ニュージーランドではスタッフの方がカレーライスとか、日本っぽい食事を振る舞ってくれたんですよ。 有村 みんなで作ったりもして。 坂口 合宿みたいで楽しかったね。