「なくてはならないものだった」越谷での2年間(Bリーグ・アルバルク東京 菊地祥平)
そうは言いつつも、安齋HCと対話を重ね、チームに足りなかったものを植えつけることができたという手応えも持つ。 「竜三さんもカルチャーということをずっと言って習慣化していった中で、ちょっと言い方が悪いかもしれないですが、最初はバスケに対する意識がプロって言えるのかなっていう感覚もありました。やらせるのは簡単ですが、嫌々やるのか、自分からやるのかでは180度違うので、モチベーションを上げながらやらせるっていう方法を、竜三さんと四苦八苦しながらやっていって、最後のほうはそれが少し浸透したかなという部分もあります。アルバルクのメンバーは、プロ意識がなければこのチームにはいられない。越谷のメンバーも今はB1に上がってきて良くなってるとは思うんですが、その意識をもっと強く持てば上がってくると思います。上から目線になっちゃうんですけど(笑)」 単身赴任していた菊地は越谷での1シーズン目を終えたとき、自身の独断で残留。B1昇格を果たした後、A東京からのオファーを受けて「家族の近くでバスケをしたい」と安齋HCに相談し、複数年契約を解除してA東京への復帰を決めた。「竜三さんも栃木に家族がいて同じ境遇だったので、ちょくちょく飲みに行きました。お酒が入って本音を言い合うのが竜三さんも好きだったし、それがありがたかった。本当に濃い2年を過ごさせてもらった」と安齋HCへの感謝を語ると同時に、「妻の協力でB1昇格を達成できた。妻には本当に感謝しかない」と夫人や家族への想いもより強まった。 もちろん、A東京復帰に際しては自身の役割も明確に自覚している。琉球ゴールデンキングスとのチャンピオンシップクォーターファイナルで、ライアン・ロシターのフローターが外れた最後の場面を思い返し、ほんのわずかな差を埋めることに意識を傾ける。 「あれが入ってたら、その後優勝してると僕は思ってるんですよ。あれはライアンが打ったけど、チームのシュートでもある。ライアンだけじゃなく、ベンチに座ってるメンバーもあの1本を決めさせるアプローチの仕方が絶対にある。13人に、ああいうシュートを決めるための役割があるんです。あの1本の重みを伝えなきゃいけないし、チームに浸透させるのが僕の役割だと思ってます」 越谷との開幕戦の出場時間は2分6秒。スタッツに残っているのはシュートを1本外したことと、ファウルを1つしたことだけだ。しかしながら、菊地の存在価値は数字に表れない部分にこそある。そして、その重要性を最も理解しているのは菊地自身だ。 「僕から竜三さんにお願いして出させてもらった形なので、竜三さんやチーム関係者が今日挨拶に来てくれた中で、『アルバルクに行ったのに何もしてねぇじゃん』って思われるのはちょっとしゃくだったので、出る出ないに関係なく『あいつはあいつなりにやってるな』っていうのを見せられたらということは考えてました」 テーブス海は菊地を迎え入れるにあたり、昨シーズンまでA東京に在籍した吉井裕鷹(現・三遠ネオフェニックス)に「あの人イジれる?」と確認したそうだ。選手では最年長ながら、誕生日のチーム練習で放置プレーを見舞われた菊地は、ムードメーカーとしてもA東京に必要な存在だ。
吉川哲彦