最初のベントレーTシリーズ(1) シルバーシャドーのエンブレム違い 倉庫に放置されていた歴史
互いの長所を伸ばしたロールスとベントレー
かつて、ベントレーを傘下に収めていたロールス・ロイス。グレートブリテン島中部、ダービーの工場で生産されていた一連の「ダービー」ベントレーや、RタイプにSタイプ、コンチネンタルなどの成功が、両ブランドの良好な関係性を裏付けた。 【写真】シルバーシャドーのエンブレム違い ベントレーTシリーズ 先代のS1 現行モデルも (132枚) 円満な夫婦関係を築いた2人のように、お互いの長所を伸ばし引き立てあった。むしろ、1940年代から1950年代にかけては、ベントレーがロールス・ロイス以上の販売数を稼いでいた。 ベントレーMk VIやRタイプといったサルーンは、ロールス・ロイス・シルバードーンやシルバーレイスを上回る人気を獲得。1955年から1959年に生産されたリムジン、ベントレーS1も、同時期のシルバークラウド Iより数100台も生産数は多い。 しかし、1959年に新しいV型8気筒エンジンが登場。1960年代に入ると、そのバランスは変化していった。第二次大戦後の抑圧された社会の雰囲気は徐々に解かれ、富裕層はロールス・ロイスに乗ることへの抵抗が薄れていった。 オーナー自ら好んで運転するクルマ、というイメージも、英国では広まりつつあった。世界は「これほど恵まれた時代はなかった」と振り返られる、成長の時代にあった。
モノコック構造へ刷新 合理化された新モデル
パワーアシストの普及で、運転は遥かに安楽に。マニュアル・トランスミッションの選択肢は消え、変速は機械が自動的に済ませてくれた。パワフルなV8エンジンは、コーチビルド・ボディの特別な仕様に並ぶ動力性能を、サルーンに与えた。 加えて、北米大陸への輸出がロールス・ロイスへ有利に働いた。当時のアメリカ人は、ベントレーに対する理解が深くもなかった。 1965年に、ロールス・ロイスはシルバーシャドーを、ベントレーはTシリーズの初期型、T1を発表。前者に対するアメリカでの積極的なマーケティングが結果を出し、後者は販売で不利な状況へ追い込まれていった。 モノコック構造への刷新が計画されたのは、1954年。ベントレーは、ひと回り小さく販売数の多い6気筒モデルとし、ロールス・ロイスは8気筒の大型モデルにするという、差別化を図る流れがあった。しかし、財政的な理由で叶ってはいない。 1962年には、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)とロールス・ロイスが接近。オースチンやモーリスの「ファリーナ」ボディシェルを流用した、ベントレーが立案された。だがブランドの方向性に混乱が生まれ、中止に至った。 結果的に、合理化された新モデル・プロジェクト「SY」が始動。次期型ベントレーとして開発は進むが、完成が見えた頃にロールス・ロイス・シルバーシャドーとして販売し、兄弟モデルとしてTシリーズを提供することが決まった。