「子どもだけで行かないで!」と小学校で禁止令が出た足立区の“ピンクすぎる館”には何がある?館長に「なんで始めたんですか?」「そもそも何でピンクなんですか?」と聞いてみた
東京藝大の受験に失敗し、独学の道を歩む
――辻さんは似顔絵も描かれるそうですね。今まで1日何人くらいの似顔絵を描いたことがありますか? 多いときで、1日10人くらいですね。2020年にYouTubeチャンネル「エミリンチャンネル」で取り上げていただいたときに、ここでエミリン(大松絵美)さんの似顔絵を描いたんですよ。 その動画が公開されたあとに、すごくたくさんのお客さんが来てくれて。みんなに「似顔絵を描いてほしい」って言われたのですが、そのときはすごく大変でしたね。 ――画家を目指したきっかけは何ですか? 僕は港区にある東海大学付属高輪台高等学校に通っていたんです。だから大学は何も考えずに、そのまま東海大学に進学しました。でも、キャンパスが箱根のほうにあって、通学に片道3時間くらいかかったんですよ。往復6時間くらいかかるのが嫌で、1年も通わずに中退しました。 その際「そういえば俺、絵がうまかったよな。藝大でも受けてみようかな」と思って、そこから東京藝術大学を目指すようになりました。 ――画廊をオープンしたきっかけは? 藝大は3回受験したのですが、すべて失敗しました。それで最後に受験に失敗した年に、母方の祖母が足立区で営んでいた豆腐屋が閉店しちゃって。店舗が空いたので祖母に「あんたなんかやれば」って言われたのがきっかけです。「東京藝大は受からなかったし、独学で絵を描くか」と思って、そこをアトリエにしました。 今の場所に来る前は、その豆腐屋の跡地で「せんごく画廊」というギャラリーをやっていました。母方の祖母の苗字が「仙石」なので、その名前をつけました。 ––––その後、あさくら画廊をオープンしたきっかけは? 前の画廊が、絵でいっぱいになっちゃったんですよ。広さが10畳くらいしかなかったので。 それでどうしようか考えていたときに、父方の祖母が老人ホームに行っちゃって、ここが空き家になったんです。すると父が「自由に使っていいよ」と言ってくれて、「ピンクの家が作れる」と思い立ち、12年前にここへ来ました。 とにかくピンクの家が作りたかったんですよ。それまでの作品を全部持ってきて、いろいろ改装したあと、2012年8月にあさくら画廊をオープンしました。