『光る君へ』平為賢、藤原隆家の指揮のもと刀伊の入寇で活躍、「府の止むこと無き武者」と称された伝説の猛者の生涯
■ 府の止むこと無き武者・為賢の活躍 隆家は4月7日と8日に京の中央政府へ飛駅使(早馬)を送り、現地の悲惨な状況や、自ら軍を率いて戦う旨を伝えた。 隆家の指揮の下、為賢らは刀伊の軍勢を迎撃する。 藤原実資の日記『小右記』寛仁3年4月25日条には、同年4月9日に、為賢(『小右記』には「為方」と表記される)とおそらく彼の一族と思われる平為忠が、「帥首(指揮官)」として敵軍に馳せ向かい、多くの敵を射殺したことが記されており、刀伊との戦いにおいて、為賢はめざましい活躍をみせたといわれる(野口実『列島を翔ける平安武士 九州・京都・東国』)。 大宰府軍は奮闘し、同年4月13日には刀伊の軍勢の撃退に成功した(倉本一宏『藤原伊周・隆家 禍福は糾へる纏のごとし』)。 ■ 褒美は貰えなかった? 京から届いた同年4月18日付の勅符(諸国に勅命を下すための公文書)には、「勲功者には行賞を与える」とあったため、隆家は11人の勲功者の名を連ねた注進状(報告書)を送っている。勲功者のトップに名が記されたのは、為賢だった。 同年6月29日には陣定が開かれ、勲功者の処遇が議論された。 意外なことに議論されたのは、勲功者にどのような行賞を与えるかではなく、行賞を与える必要があるか、否かであった。 刀伊との戦闘は4月13日に終わっており、勅符が到着する前に勲功を挙げているのだから、行賞は不要ではないかというのが、その理由だった。 渡辺大知が演じる藤原行成と町田啓太が演じる藤原公任は、「行賞は不要」と主張したが、藤原実資は「行賞を与えなければ、今後、奮戦する者がいなくなる」と意見し、最終的には行賞が認められた(『小右記』同日条)。 だが、為賢は行賞を得られなかったかもしれない。 史料に残る限り、行賞を貰えたのは、大蔵種材と藤原蔵規の二人のみだという(倉本一宏『戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』)。