人気の「五代さま」像に歓声 NHK「あさが来た」ウォーク
「九転十起」の精神に「真似できない」と脱帽
土佐堀通を東上すると、「花外楼」へ。維新成立後、大久保利通、木戸孝允、板垣退助らが明治政府の基本方針を協議する「大阪会議」を開いた料亭だ。西へ折り返し、市立開平小学校南側の歩道を進むと、南西角で「天五に平五 十兵衛横町」の顕彰碑に出合う。 当サイトの「大阪の難解地名」シリーズでふれたことがあるが、ご当地には天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛という2軒の大手両替商が並んでいたことから、いつしか人々は五兵衛と五兵衛を足して「十兵衛横町」と呼びようになった。 「あさが来た」でヒロインあさの姉が嫁いだ両替商のモデルが、天王寺屋だった。天王寺屋は大名への貸付が膨大な不良債権と化し、あえなく没落。姉妹は明暗が分かれた人生を歩んでいく。 大阪慶応義塾跡、適塾、淀屋屋敷跡、帝国座跡などを経て、赤れんが造りの日本基督教団大阪教会に到着。広岡浅子が洗礼を受けた教会だ。梅花女学校跡から大同生命へ戻ってゴールイン。 広岡浅子は「七転八起」を超える「九転十起」の敢闘精神で生き抜いた。参加した60代女性は「今だって女性が結婚後働くだけでもたいへんなのに、浅子さんは新しい事業を次々と成し遂げていく。素晴らしい。とても真似できません」と話していた。明治大正の女性起業家の足跡を、自分なりに歩いて追体験してみたらいかがだろうか。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)