過疎化を止められるか、タイの一村一品運動
タイで8月に38歳のペートンタン氏が新首相に就いた。交代劇で本人以上に目立っていたのが父親のタクシン元首相だ。2006年に軍事クーデターで失脚するまで5年あまり政権を率い、その後も影響力を維持してきた。剛腕ぶりから評価の分かれる政治家だが、功績として挙げられるのが農村開発の取り組みだ。 【写真】五つ星がついた「ホン・ヨック」の中国ソーセージ 代表的な施策が日本発祥の「一村一品運動」をモデルにした「One Tambon（町） One Product」。制度開始から20年あまり、本当に農村の活性化や所得向上に役立ってきたのだろうか。 頭文字を取って「OTOP」と呼ばれる取り組みは、01年にタクシン氏の肝煎りで始まった。大分県で1980年ごろに導入された制度を参考に、地元の資源を生かした特産品を認定し、地域経済の起爆剤にしようというものだ。品質などの基準を満たせば商品にOTOPマークを表示できる。8月現在10万近い個人やグループ、中小企業が参加し、食品や布製品など5分野で約24万品が認定されている。 ◇開発遅れるラチャブリ県 バンコクから車で西に向かうと、ほどなく近代的な高層ビルや、商店や民家が密集した都会ならではの下町風景が途切れる。バンコクの一極集中を実感しながら2時間も走れば、西部ラチャブリ県だ。西部地域は製造業の発展が遅れ気味で、農業など1次産業の割合が比較的高い。賃金水準の低さも課題になってきた。 県内のバーンシーン町のOTOPは、タイの食卓によくのぼる甘みの強い中国ソーセージだ。養豚業が盛んな町で昔から保存食として作られてきた。「ホン・ヨック」のブランドで製造、販売するコムクリット・プリデシャさん（55）は「うちはOTOPで最高ランクの五つ星の評価を得ています。品質は保証済みです」と胸を張る。 03年の創業当初は家族と従業員5人ほどが地元で流通する量を製造する家庭内工業だった。10年ほど前にOTOPに参加して売り上げが伸び、今では従業員50人を抱える地元有数の会社に成長した。ちょうどインターネット販売を始めたころと重なり、商品を実際に手に取ったり、味見したりできないネットの弱みをOTOPマークの信頼性が補ってくれたという。製造量は1日3000キロを超え、バンコクなど全国に出荷する。 近くのサームルン町で大根の漬物を製造するスパラーク・サクナーさん（36）も効果を実感する。大根の一大産地で、祖母が家族や親戚のために漬け始めたのが家業に転じたという。以前は加工業者への卸売りが中心だったが、個人向けの販売が増え、県外のスーパーやコンビニにも並ぶ。新商品開発にも熱心で、イスラム教の戒律に沿った「ハラール」の認証も取得した。 ◇OTOPの効果 タクシン氏の農村開発策は「票集めのためのばらまき」とも非難されてきたが、OTOPに関しては一定の効果が出ているようだ。輸出もされ、全体の販売額は年間約3300億バーツ（約1兆4600億円）にのぼる。 所管する内務省コミュニティー開発局のパイロード・ソーパーポン氏は「地元で収入を得て自立できれば、都会に出稼ぎに行く必要はありません。政府として大規模な商談会や経営や宣伝に関する研修などを行い支援しています」と意義を説明する。最近は動画投稿アプリ「TikTok（ティックトック）」と提携した販路開拓も始めたという。 ◇都市化と過疎化の弊害 ただ、大きく広がった都市と地方の格差は簡単には埋まらない。バンコクの人口は公式発表では550万人前後で推移しているが、実際には1000万人超ともいわれる。簡素な住居が密集した劣悪な環境のスラムも多い。急速な経済成長により地方から労働力として多くの人がバンコクに流入し、都市機能が疲弊する一方、食料生産を担ってきた農村は過疎化が進んだ。近年はその動きが国境を越え、流入者はミャンマーやラオスからの出稼ぎ労働者に取って代わられつつある。 国連食糧農業機関（FAO）で長年、開発途上国の飢餓や貧困などに向き合ってきた小沼広幸さん（71）も格差に警鐘を鳴らす一人だ。「過疎化と都市化を食い止めるには、地域の特性を生かした地場産業の育成や雇用機会の提供が必要です」と話す。自身もFAOを定年退官後の18年に、一般社団法人「アジア自立支援機構」を設立し、タイ北部の山岳民族の村でコーヒー豆栽培による自立を後押しする。 支援するアカ族が暮らすメーチャンタイ村は、標高1400メートルという立地を生かして20年ほど前にコーヒー豆栽培が始まった。ただ、品質に反して仲買業者の買い取り価格は低く、現金収入は農閑期の出稼ぎに頼っていたという。 そこで村のコーヒーをブランド化して収入を増やそうと、村民と共同で加工場を建設し、栽培から焙煎（ばいせん）まで完結できるようにした。バンコクでのカフェ運営などを通じて知名度は上がり、収入が安定。今では出稼ぎの必要はなくなり、住民も43世帯230人ほどに増えたという。 村の成長を見守ってきた小沼さんが今、「かつてのタイと同じ道を歩んでいる」と気がかりなのがカンボジアやラオスだという。後発開発途上国からの卒業を目指して経済成長を最優先した結果、労働力を必要とする都市への急速な人口流入が進んだ。国連機関はこうした制御不能な都市化は、インフラを圧迫し自然災害や環境へのリスクにもなると指摘する。 タイで根付いた一村一品運動が、経済的な理由で都市に出ようとする人を引き留めるヒントになればと思う。まずはタイに住む消費者の一人として、OTOP商品を買い支えることから始めたい。【アジア総局長・武内彩】
