「細くて速いなら、私もそっちが良い。でも…」“菊池病”との闘病も公表…100mハードル・福部真子(29歳)が語る決意「“嫌だ”を越えるのが大事」
スプリントとハードル技術を融合する難しさ
ただ、2024年のシーズン前半は、その走力とハードリングがかみ合わなかった。速く走るだけであれば、重心を低くして地面に強い力を加える「馬力」で体が前に進んだ。だが、そのフォームでハードルを跳ぶと、重心が低いためハードルに接触しやすく、減速してしまう。得意のハードリングも狂ってしまった。 今年6月上旬の布勢スプリントは12秒99(+1.9)。パリ五輪出場のために12秒77の参加標準記録を突破する必要もあり、4週間後の日本選手権に向けていよいよ追い詰められていた。 そこで福部が施したのは「応急処置」だ。 冬に取り組んできた感覚を一度捨てた。取り組んだのは、普段より15センチほど高いハードルを跳ぶ練習。必然的に重心を高くして跳ばなければならない状況を作り、ハードル走に適切なフォームへと修正した。さらに厳しい食事管理で「500グラム」の減量にもこだわった。高さとキレを取り戻した福部は、日本選手権の準決勝で12秒75をマーク。間一髪でパリ五輪出場にこぎつけた。 ただ、このような「応急処置」を続けていては、大きな記録を出すための練習を継続できない。実際、日本選手権のころには「12秒50切り」という当初の目標を口に出すことはできなかった。 パリ五輪が終わり、競技人生で初めて、けがもしていないのに10日間練習をしなかった。自分に、ここから可能性があるのか。また頑張れるのか。 尾﨑コーチに、「やる気がわかん。どうしよう」と思いをはき出した。 すると尾﨑コーチは「そんなもんじゃない?」と気持ちを尊重してくれた。 福部にとって、3年以上の長い期間をかけて一つの目標に向かって挑戦したのは、パリ五輪が初めてだった。気持ちが途切れることは普通なのか。それさえも分からなかったが、すっきりした。 その上で尾﨑コーチから伝えられたのは、「一人の選手として、自分の限界に挑戦してほしい」。周囲の期待にそって五輪や世界選手権をめざすのではなく、自分の記録をどこまで伸ばせるか。そこにチャレンジして欲しいという思いだった。パリ五輪の準決勝で1台目や2台目まで先頭争いをした姿に「可能性を感じた」と言ってくれた。 福部は、ふと思い直した。 「いっちょ前に日本代表とか、日本記録保持者とかを背負って競技してきて、一選手としてどうしたいかを忘れていたなと。私だってみんなと同じ1人の選手。絶対に世界陸上とか五輪に『出なきゃいけない』こともないし、私だって自分の記録を伸ばすことだけに集中していいよねって」
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