土木が原風景となる時(3)海上吊橋の堂々たる威容「下津井瀬戸大橋」
本州四国連絡橋の児島・坂出ルート(通称・瀬戸大橋)には我が国有数の長大橋が連なり、さながら橋梁工学の生きた展示館でもある。昭和60年代に相次いで完成した長大橋6橋(岡山県側から、下津井瀬戸大橋(吊橋)、櫃石島橋(斜張橋)、岩黒島橋(斜張橋)、与島橋(トラス橋)、北備讃瀬戸大橋(吊橋)、南備讃瀬戸大橋(吊橋))は、当時の最先端技術が導入され、我が国の長大橋梁工学の礎となっている。
瀬戸中央自動車道を岡山県側から入ると、やがてこの下津井瀬戸大橋が出迎える(写真1、2)。吊橋全容を伝える多くの公開画像とは異なり、橋梁写真家の依田正広氏が撮影したこの2つの画像はローアングルから捉えたものであり、中央支間(主塔間の距離)940メートルを有する海上吊橋の堂々たる威容を伝える。加えて、精巧に設計された鋼製補剛桁(吊橋の走行部分に剛性を持たせる桁)は荒々しくもあり、得も言われぬダイナミズムを醸し出す。 さて、当時より長大吊橋のランキングが話題になったが、それは通例中央支間(center span)の長さにて競われる。この下津井瀬戸大橋は国内第6位であるが、我が国の長大吊橋ブームの先駆けであり、その技術は継承され、やがて世界最大の吊橋・明石海峡大橋(中央支間:1991メートル、完成:1998年(平成10年))の開通を迎える。
この瀬戸大橋に林立する長大橋群を刻印した開通記念500円硬貨(写真3)が1988年(昭和63年)に発行されたが、これは、その竣工が国家的プロジェクトとして大歓迎されたことを物語っている。 さて、再度、写真1に目を凝らすと、下津井瀬戸大橋の遥か遠方の四国側には、2つの斜張橋の主塔4基をも捉えられていることが分かる。競うが如く連なる長大橋梁は夥(おびただ)しい交通荷重にじっと耐え、凛として立ち、燦として輝いている。開通以来30年が経過し、本州と四国を繋げる重要な海上交通施設として定着しているが、同時に、地域住民の方々や当地への訪問者など多くの人々にとっては、“見慣れた風景“であり、海山陸に溶け込んだ原風景となっている。