<憲法記念日に再考> 憲法とは何だろう? 木村草太・首都大学東京准教授
では、どちらが日本国憲法の理解としてふさわしいのか。実は、日本国憲法の文言は、「法律で決めなくてはならないこと」と「内閣の一存で決定していいこと」を細かくは定めていない。だから、憲法を解釈していくことが必要となる。 では、憲法解釈を決めるのは誰か。実は国民である。 もちろん、国の政府は、過去の事例を検討したり、有識者の意見を聞いたりしながら、一つの解釈を選択して実践する。私のような憲法研究者は、憲法条文や、関係する法令、過去の判例、諸外国の例、憲法の歴史など様々な考慮から、「こう解釈するのが良いのではないか」と提案することもある。国会は、憲法解釈をベースに、より良い社会作りのための法律を制定する。裁判所も、さまざまな資料に基づいて、憲法の有権解釈者として、解釈を示す。 しかし、こうした解釈は、すべてある意味では「暫定的な解釈」だ。政府や学者や国会や裁判所が示した解釈がおかしいと思うならば、国民がしっかり議論して、それを政治の実践の場に示していかねばならない。国民のそうした議論を受け止め、時には議論をリードしながら、国民の意思を国会に届け、法律を作るのは国会議員の仕事だ。
ちなみに、4月8日の審議でも、安倍首相は、辺野古基地建設法を作りたければ議員立法をすればよい、という趣旨の答弁をしている。 では、松田議員が、法案提出の条件を整え、国会に「辺野古基地設置法案」を提案したらどうなるだろうか。可決されれば、基地建設の可否は、憲法95条に基づく名護市の住民投票によって決せられる。他方、否決されれば、国会が「辺野古基地NO」の意思を表示したことになる。それを無視して、内閣の一存で基地建設を進めれば、国民の間で、国会と内閣のどちらが基地の場所を決めるべきなのか、議論が巻き起こるだろう。 どちらにしても大変な事態であり、議員立法の行方が注目される。 松田議員と安倍首相は、それぞれに「あるべき憲法」を提示して、国民が憲法を選ぶ機会を与えてくれた。ぜひ、読者のみなさんも、どちらの方が良い憲法なのか、考えて、選んでみてほしい。 「憲法を創る」こと。それは、憲法の文言にむやみに言いがかりをつけたり、思い付きで憲法草案を書いたりすることではない。まったく異なる個性を持つ人々が、互いに尊重しあいながら共存するためのルールを具体的に考え、実践につなげて行くことだ。 良い憲法を創れるかどうかは、国民の地道な努力にかかっている。 ---------- 木村草太(きむら・そうた) 1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京准教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。著書に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『憲法学再入門』(西村裕一先生との共著・有斐閣)、『未完の憲法』(奥平康弘先生との共著・潮出版社)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(大澤真幸先生との共著・NHK出版新書)などがある。 (※住民投票)憲法95条は、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」と定める。辺野古基地設置法には、この条文が適用される可能性が高く、名護市の住民投票の承認がない限り成立しない。