「そろそろ家庭に入りたい」…伝説のストリッパーが人気絶頂期に「引退」したかった衝撃の理由
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第39回 『陰部露出で人気を博した「伝説のストリッパー」が全共闘に「反権力の象徴」として祭り上げられたワケ』より続く
「普通の主婦」を夢見て
頂上の景色を知った人気者は、周りが想像する以上に、転落を怖がる。一条もいったん舞台に出たら、ファンの期待に応えるしかない。大阪万博(70年)を機に警察の取り締まりは一層厳しくなった。このまま続けていれば、いずれ刑務所行きになると一条は考えていた。 体制に反発する学生やフェミニストからの支持、応援に逆らうように、一条自身は71年ごろから引退を意識しはじめる。吉田と付き合いはじめてしばらくしたころだった。歳は33で、引退するには早い。 彼女は周辺に、「そろそろ家庭に入りたい」と漏らしている。ストリップの世界に入る前から、夢は「普通の主婦」だった。ただ、どれだけ本人が希望しようとも、周りが引退を許さなかった。 「劇場からは辞めるなって言われるし、(内縁の)夫からも、せめて自分が店を持つまでやってくれと言われ、結局もう一年やらされたんです」 劇場や事務所にしてみれば、一条は「カネのなる木」である。すでに自分だけの存在ではなくなっていた。 「裸」商売とは縁を切ろうと考えた71年から、実際に引退するまでの約1年間に、一条は3度、逮捕されている。周りからの要求をはねのけ、自分が決めた時期に引退をしていたら、彼女はまったく違った人生を歩んでいたはずだ。