「物語性ゼロの場所」から生まれた夜行列車小説 多和田葉子さんが明かす創作秘話
ドイツ在住で小説家・詩人の多和田葉子さん(64)が10月、母校の早稲田大(東京都新宿区)で、ジャズピアニストの高瀬アキさん(76)とともに海外での創作や演奏をテーマにトークライブを行った。多和田さんは学生時代にシベリア鉄道の旅を経験。後に谷崎潤一郎賞を受賞する小説『容疑者の夜行列車』の執筆につながった原体験や、朗読活動の基盤となるドイツでの「詩の伝統」との出会いについて語った。 ■共産圏の洗礼受け 早大ロシア文学科に在籍中に旧ソ連からシベリア鉄道に乗り、ドイツまで旅した多和田さん。ウラジオストクの港に着いた途端に現地の子供たちに取り囲まれ、ボールペンを要求されたり、ジーパンを毛皮と交換するよう求められたりと、いきなり共産圏の洗礼を受けた。 「知識として知っているのとは違い、私が異物としてそこに行き、直接的に異文化とぶつかってしまう。それは危険だったり痛かったりという場合もあるが、快感でもあった」 シベリア鉄道には日本語の堪能な現地ガイドも乗車しており、「世話をしてくれるとともに、見張られている」という感覚もあった。習っているロシア語を旅先で試してみたかったが、「ソ連の人は街中で外国人と会話していると怪しまれる時代。知らない人に話しかけたり、個人の家に行ったりしてはいけなかった」。そこで会話のチャンスを見つけたのが、客室の中だったという。 「列車の中というのは不思議な空間で、何日も閉じ込められて乗っていると、知らない人同士が自分の人生について語り始めてしまう。ロシア文学を読んでいて、そういう光景に憧れていた部分もあった」 延々と続くシラカバの林や、バイカル湖といった雄大な自然にも魅了された。「夜に眠れなくて窓から外を見ると、幻想的な光に照らされて木が浮かび上がっているように見える。一種の瞑想のような気持ちになって、夜行列車の不思議さはその後もずっと気になっていた」と振り返る。 ドイツへの移住後も、ヨーロッパ内での移動には安くて便利な夜行列車を多用し、その経験が平成14年に『容疑者の夜行列車』として結実した。「その時にはもうシベリア鉄道のロマンチックな感覚はなくなっていたけど、夜行列車は何も見えないし何も起こらない、まさに物語性ゼロの場所。その時間を思い出そうとすることが、すごく書く刺激になった」と創作秘話を明かした。