受刑者に向き合う「神職教誨師」 塀の中の知られざる心の救済活動とは?
教誨(きょうかい)師とは、刑務所や少年院などの矯正施設で被収容者たちの精神的救済や徳性の育成を目的に活動する宗教者のことだ。 「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」や「少年院法」では、「宗教家(民間の篤志家に限る)の行う宗教上の儀式行事」「宗教家の行う宗教上の教誨」と記されているように、教誨師は宗教者でなければならない。被収容者は、日本国憲法が定める信教の自由に基づき、自分が聞きたいと思う宗教の教誨を選んで受講することができる。 映画やドラマ、小説などの世界でよく登場するのは「牧師さん」や「お坊さん」の教誨師だ。しかし、日本古来の宗教と言われる神道の教誨師ももちろんいる。今回、現役で教誨活動をする神道の教誨師・中川文隆さんに話を聞いた。
社会復帰する上での心の救済が目標
「教誨師というと、死刑囚と対話し、死刑執行の最期のときにも立ち会うイメージがあるかと思いますが、それは一部の例で、多くの教誨師は、施設の中で将来的に更生して社会に戻っていく人達に対して、宗教心に根ざした心の安らぎを与え、人間性の回復に向けた講話をし、悩みを聞き共に考えることがほとんどです」 白衣の襟を整えながら、中川文隆さんは静かに語る。 中川さんは、東京都中央区に鎮座する鐵砲洲(てっぽうず)稲荷神社の宮司だ。普段は神社で奉仕するかたわらで、全国教誨師連盟の副理事長と東京矯正管区の教誨師連盟会長を務める。神職の教誨師としてはここまでの役職を拝命したのは中川さんが初めてだ。 「教誨活動は、それぞれが属する宗派などの本部から手当が出る場合もありますが、実質はボランティア。被収容者の心に寄り添ったり、向き合ったりしながら活動をしています」 中川さんによると、現在、日本では1850人の教誨師が活動をしており、その7割が仏教系、1割が神道系、1割がキリスト教系、残りの1割が諸教の割合だという。 「明治時代初期、神職は教導職をするなど、人を教え導くことが奨励されました。そのため、当初は神職の教誨師も多かったようです。しかし、時代の変遷に伴い、神道教誨が求められる機会がめっきり減ったと思います。誤解を恐れず申しますと、ほかの宗教に比べてあまり布教活動は積極的ではありませんし、僧侶の方々のように人前で話すことも比較的少ないです」 他教と比較すると神道はあまり死を語らない宗教であることも、神道教誨が求められることが少ない一因かもしれない。戦後のGHQによる神道指令などが日本人に抱かせた神道に対する思いも無関係ではないだろう。 もっとも、戦後から70年以上が過ぎ、神社や神道に対する人々の気持ちにも変化が現れてきているせいか、最近は少し様相が変化してきており、神職の教誨を聞きたいという被収容者も増えてきているようだ。