「足の指先に死体。無数の叫びがうなり声に」 被爆経験ない人が「あの日」の広島の惨状を語る理由
「草履から出た足の指先に死体が触れていた。病院の中では『熱い』『痛い』『助けて』という無数の叫び声が壁に反響して、『うおーっ』という大きなうなり声に聞こえた」。忍岡(おしおか)妙子さん(75)=広島市=は全国各地の小中学校などに赴いて、「あの日」の広島の惨状を伝える活動を続けている。 【写真】広島平和記念資料館が所蔵する被爆資料のレプリカ 戦後生まれの忍岡さんは被爆2世ではなく、家族の中にも被爆者はいない。各地で語る生々しい情景は、被爆者から聞き取った証言だ。忍岡さんの肩書は「被爆体験伝承者」。被爆地・広島市の認定を得た語り部だ。 被爆者の高齢化が進む中、広島市は被爆体験伝承者の養成事業を2012年から始めた。広島の記憶を後世へ継いでいく重要な役割を、被爆経験がない人にも担ってもらおうという新たな試みだ。 伝承者になりたい人はまず、広島平和記念資料館の学芸員や医師らから、原爆被害の概要や核兵器を巡る世界情勢などを学ぶ。その上で、被爆者の証言を聞いて誰の伝承者になりたいかを、その理由とともに市に提出する。被爆者が自身の伝承者となることを了承してくれれば、被爆者とペアを組む形でより詳細な証言を聞き、語り部活動に向けた原稿を作成する。元アナウンサーから話し方の技術も学ぶなど、2年に及ぶ研修プログラムを修了して、ようやく伝承者になれる。 小学校教諭を退職し、広島の平和記念公園で園内にある慰霊碑の案内ガイドをしていた忍岡さん。いかに原爆が非人道的かを伝えようと伝承者に応募したが、惨状を「伝聞」で語ることには「被爆者の気持ちを100%受け継げるか不安だった」と明かす。 被爆者から直接体験を聞くことは、いずれできなくなる。単に体験を伝えるだけなら、映像でいい。「被爆者が平和への思いをなぜ抱くようになったのかを肌で感じてもらい、質疑応答を重ねて受け継いでいく。そんな対話の中にこそ、人から人へと伝える重要性がある」。伝承者の養成事業を担当する広島市平和推進課の担当者は強調する。現在活動する伝承者約250人の多くは40代以上だが、今年は10代1人、20代3人の応募があるなど、若い世代にも広がりつつある。 全国の被爆者の平均年齢は23年度末で85・58歳になった。被爆者手帳を持つ人は1985年度調査では京都府1697人、滋賀県446人だったが、2023年度末には京都で641人、滋賀は214人と、いずれも半数以下になっている。被爆2世については国の調査がなく、正確な人数が分かっていない。放射線の影響が心配される中、偏見などを恐れて公にしていない2世も多いとみられる。 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に加盟する「京都府原爆被災者の会」は、現在の会員数が約180人。うち被爆2世は約10人にとどまる。「このまま会員が減れば、組織が運営できなくなるのは時間の問題だ」。同会事務長の辻一幸さん(72)は被爆の実相を伝えたり、被爆家族の苦しみを伝えたりする活動が途絶えてしまうことを懸念する。「2世や、被爆者と血縁でない一般の支援者とも手を携えていきたい」