「最期の言葉も冗談でした」 火野正平さんの娘が語る 本人が明かしていた、本妻と籍を抜かなかった理由とは
「元祖プレイボーイ」と呼ばれた俳優・火野正平さん(享年75)が亡くなった。40年以上連れ添った事実婚の妻のほか、火野さんには21歳の時に結婚し、生涯、籍を抜くことのなかった本妻がいる。実は、その「二人の妻」との関係を生前、本誌(「週刊新潮」)に語っていた。 【レア写真】内縁の妻とラブラブな様子で抱き合う火野正平さん ***
「最期は私たち家族三人で父をみとりました。母が一方の手を握り、娘の私たちがもう片方の手と足をさすりながら、皆で“ありがとう”と言葉をかけました」 こう話すのは、火野さんの内縁の妻Aさんの長女(42)である。5年前に本誌が取材した際、火野さんはAさんを「うちのかーちゃん」と呼び、「事実上の嫁さん」だと隠すことなく話した。
「ハイライトを毎日70本」
二人の交際は1981年にさかのぼり、以来40年にわたって生活を共にすることに。そのAさんと娘二人に見守られながら、11月14日に息を引き取ったという。 「今年4月に持病の腰痛が悪化し、9月に腰部を圧迫骨折したのを機に体調を崩したそうです。長くレギュラー出演していた、自転車で全国を巡るNHK BSの旅番組への復帰を願っていましたがかないませんでした」(スポーツ紙デスク) 同番組のスタートは2011年。その2年前に火野さんにインタビューした、芸能ジャーナリストの山岸信美氏が述懐する。 「当時、火野さんは59歳でしたが、ハイライトを毎日70本吸い、還暦直前にして初めて人間ドックを受けたところ、自分の血液型がそれまで信じていたO型でなく、A型だと判明してビックリしたと話していた。そんな豪放磊落(らいらく)な一面の裏で、照れ臭そうに話す仕草や笑顔がすごくチャーミングだったのを覚えています。あまたの女性と浮名を流しましたが、“俺から別れを切り出したことは一度もない”と語り、モテる秘訣(ひけつ)を聞いた思いでした」
“ホント、ほっとけない男なのよ”
73年のNHK大河ドラマ「国盗り物」への出演で注目を浴び、以降、個性派俳優としてマルチに活躍。ただし火野正平といえば、“11股”や“握手で妊娠”といった伝説が示すように華麗なる女性遍歴で往時のワイドショーをにぎわせた。 芸能レポーターの川内天子氏が言う。 「これまで交際相手として名前の挙がった芸能人は紀比呂子さんや望月真理子さん、小鹿みきさん、仁支川峰子さんなど数知れず。十数年前、小鹿さんと仁支川さんを取材した際、二人とも“あの人と暮らせてよかった”“ホント、ほっとけない男なのよ”と、火野さんとの交際を宝物のように大切な思い出として語っていたのが印象的でした。ひょっとしたら、籍を抜こうとしなかった本妻の心情にも通じる部分があるのでは」