硫黄島には何があるのか…民間人”立入禁止”の島に上陸するにはどうしたらいいのか
「北海道にどう関係があるんだ」
しかし、入社後の道のりは平坦ではなかった。新しい職場で期待されたのは、前職での経験を活かした警察記者としての活躍だった。次々と起きる事件や事故の現場を駆け回るだけで 精一杯の日々が続いた。ボロボロになる日々だったと言ってもいい。それほど身を粉にした。 ただ、硫黄島の記事を書く僅かなチャンスは毎年、盆と正月に巡ってきた。多くの記者が 長期休みに入るこの二つの時期は記事が足りなくなるため、札幌の本社が全支社・支局に、いつでも掲載できるテーマの大型記事を出すよう求めていたからだ。 こうした原稿を「カンヅメ」(いつでも使える原稿)と呼ぶ。僕は入社当初から、カンヅメを求められるたびに、硫黄島関連の記事を出稿しようとした。しかし「北海道にどう関係があるんだ」という理由で、退けられ続けてきた。 それでも僕の執念は消えなかった。函館報道部、本社編集局報道センター、千歳支局に計11年間勤務した末、東京支社編集局報道センターへの異動が認められた。異動希望を出し続けて、ようやく夢の上京が実現した。 2018年春のことだ。記者にはそれぞれ担当が割り振られる。僕は厚生労働省担当を希望した。戦没者遺骨収集の担当省庁だからだ。その希望も認められた。厚労省が入る合同庁舎9階の「厚生労働記者会」の入り口付近にある北海道新聞の常駐記者席が、僕の硫黄島報道の拠点となった。 中央省庁の官僚とはどんな人種なのか。霞が関や永田町はどんな世界なのか。取材にはどんな作法が必要なのか。ローカル紙記者の僕は不安ばかりだった。 初めて出勤した際、厚労省向かいの日比谷公園では、梅が咲いていた。「置かれた場所で咲きなさい」―― 。いつか読んだ言葉を思いだし、脇目も振らずに初志を貫こうと誓った。 つづく「「滑走路下に多数の遺体が埋められている」…マスコミが無関心の「硫黄島の知られざる実態」」では、滑走路直下の地下壕のことを知り、取材成果は特報になったときのことを綴る。
酒井 聡平(北海道新聞記者)