久我美子さん、死去 93歳 誤えん性肺炎 映画「また逢う日まで」、「3時のあなた」司会
映画「また逢う日まで」(今井正監督)などに出演した女優の久我美子(くが・よしこ)さんが9日に誤えん性肺炎のため死去していたことが14日、明らかになった。93歳だった。47年に映画「四つの恋の物語」でデビュー。50年の今井正監督「また逢う日まで」では、岡田英次さんとのガラス越しのキスシーンが大きな話題に。69年からはフジテレビの主婦向け番組「3時のあなた」で司会者を務めた。61年に俳優の平田昭彦さんと結婚し、おしどり夫婦としても知られた。 気品ある演技で親しまれた昭和の大女優が、またこの世を去った。 久我家は代々、琴をつかさどる公家で、先祖をたどると村上天皇までさかのぼる。戦後、華族制度が廃止されるまでは侯爵家で育ったお嬢様だった。終戦の報を聞き、「しめた! これで自分のしたいことが出来る」と、女優を志した。1946年に東宝の第一期ニューフェースに合格するも、家柄に関わるということで、親類に籍を移して池田姓を名乗った。女優になることを反対されたが、東京下町のべっこう屋出身の母が最後まで後押ししてくれた。 47年に映画「四つの恋の物語」でデビュー。50年の今井正監督「また逢う日まで」では、岡田英次さんとのガラス越しのキスシーンが世間に衝撃を与え、日本映画史に残る名場面として記憶されることになった。その後も黒沢明監督「白痴」、木下恵介監督「女の園」など、日本映画を代表する監督たちの作品に次々と出演。清廉な女性像を演じて高い評価を得た。 女優として確固たる自分を持った人だった。45歳でもテレビ各局から仕事が来たが、「1年に1本でいいと思っている。絶対に掛け持ちはしない。1つ1つの作品を堅実にやっていきたい。そうすることが今後仕事を続けていく1番いい方法だと思います」と女優としての哲学を貫いた。 女優業の一方で、フジテレビの主婦向け番組「3時のあなた」で司会者を務めたが、元々は大のテレビ嫌いだった。「細かくカット割にして撮影する映画と違って、テレビはやり直しがきかない。すごく神経を使う。テレビをやるとしばらく胃腸の具合が悪くなる。寿命が縮まります」と出演は避けていた。60年、日本テレビドラマ「石庭」でテレビ初出演した時は各スポーツ紙は大きく取り上げたほどだった。それでも、映画での清楚(せいそ)なイメージとは一線を画し、フレッシュな司会ぶりがお茶の間から愛された。 家庭を思う良妻でもあった。60年の映画「大阪城物語」(稲垣浩監督)で俳優の平田昭彦(享年56)と共演したことがきっかけで翌年結婚。家庭のことを考え、仕事はあえて受けなかった。そのことで事務所から注意を受けたこともあったという。ただ、「2、3人は欲しい」と言っていた子宝には恵まれずだった。 そんな愛し合った夫は84年、久我が53歳の時に帰らぬ人となった。40年の時を経て天国で再会し、喜んでいるかもしれない。 ◆久我 美子(くが・よしこ)本名・小野田 美子(おのだ・はるこ)。1931年1月21日生まれ、東京出身。学習院から1946年東宝1期ニューフェースとして入社。47年に「四つの恋の物語」でデビュー。51年に大映に所属し、54年に映画「女の園」などで毎日映画コンクール助演女優賞を受賞。56年に映画「夕やけ雲」などでブルーリボン助演女優賞を受賞。
報知新聞社