誹謗中傷等に対する対策について
2. 厳正な刑事処罰やメディアのリテラシーの必要性
誹謗中傷対策における検討課題として、司法当局が、表現の自由や意見論評の自由などを尊重する観点から、誹謗中傷に対する刑事罰の適用に慎重になっている点があります。 表現の自由や意見論評の自由を尊重するのは当然ですが、そもそも、意見等があるならば、それを正々堂々と開陳すればよく、侮辱的表現や個人攻撃にわたる表現などを使う必要は何もありません。 このことは、最高裁の各判例が「ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、右意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、右行為は違法性を欠くものというべきである」旨の判断を示しており、「人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱した」ものは違法性を欠くとはされない(論理的にラフな言い換えですが、要するに「違法である」)と説示しているとおりです。 この点、政府広報オンラインも「(1)誹謗中傷と批判意見は違う 相手の人格を否定または攻撃する言い回しは、批判ではなく誹謗中傷です。」と述べています※1。 ※1 https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202011/2.html 侮辱的表現や個人攻撃にわたる表現は、「人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱した」(最高裁判例)ものであり、「相手の人格を否定または攻撃する言い回し」(政府広報オンライン)です。 侮辱的表現や個人攻撃にわたる表現は、言論の内容に対する評価とは切り離して、その外形だけで該非(該当するか否か)を判断することが比較的容易です。たとえ真に意見や論評であっても、こうした表現を使うことは許されないわけで、言論としての初歩的マナーに反するから保護に値する価値はなく、社会的な倫理も欠いています。さらに、こうした表現を使わずに意見や論評を展開することに、何の支障もありません。 だから、司法当局は、侮辱的表現や個人攻撃という外形に着目して、言論の内容に立ち入ることなく、名誉毀損罪や侮辱罪等で摘発・訴追し、刑事責任の認定を行うことが可能です。言論の中身に立ち入ることは必要ありませんから、特別な事情がない限り、刑事罰の適用によって、表現の自由や意見論評の自由が不当に侵害される恐れは乏しいと考えられます※2。 ※2 なお、個人攻撃や侮辱表現それ自体の文学的価値や芸術的価値が問題になる場合などには、人の名誉信用や名誉感情といった法益保護の必要性との間での利益考量や言論への萎縮効果の有無・程度を検討する必要が生じ、謙抑的に刑事罰による介入を差し控える方がよい場合が少なくないだろうと思います。 いかに誹謗中傷対策として侮辱罪の法定刑の引上げ等がなされたとはいえ、司法当局が法を厳正に適用しなければ、刑罰の制裁による一般予防効果も発揮できません。 また、新聞雑誌やネット媒体なども、問題とされている記事が裁判等で違法といった判断が出ない限り、被害者が誹謗中傷記事の撤回や配信停止を求めても、応じることはまずありません。繰り返しになりますが、意見や見解は、正々堂々と述べればよいのであって、侮辱的表現や個人攻撃などをわざわざ使う必要もありません。侮辱的表現や個人攻撃は、そうした意見や見解と称するものの中身がないことの現れです。新聞雑誌やネット媒体が、リテラシーを発揮して誹謗中傷や個人攻撃にわたる表現を遮断していくことが、メディアとしての役割であると思います。また、そうなれば、誹謗中傷や個人攻撃は、刑罰などの国家権力の介入なくして、排除されていくことになります。