地球以外に存在するのか…「地球外生命」への大きすぎた期待と、じつに意外だった「ヴァイキング探査の結果」
19世紀から気になる惑星だった火星
宇宙で生命を探すといっても、20世紀前半までは、せいぜい望遠鏡で覗くことしかできませんでした。月にはどう見てもいそうもないので、次に地球に近い天体となると、火星か金星です。 1877年、イタリアの天文学者でありミラノ天文台長もつとめたジョバンニ・スキャパレリ(1835~1910)は精力的に火星を観測し、多くのスケッチを発表しました。彼は火星の表面に多くの筋があるのを見つけ、それを水路(キャナリ)だと考えました。この“水路”は天然の河川というより人工物、いわば“運河”のように見えたため、火星には高等生物がいるのではないかと盛り上がりました。 20世紀後半、人類はロケットで他の天体まで行くことが可能になりました。火星へも1960年代からソ連(当時)と米国が競って探査機を打ち上げましたが、成功したのは1964年のマリナー4号(米国)が最初でした。 マリナー4号から送られてきた火星表面の画像には、運河はなく、大型生物はいそうにありませんでした。それでも、上空からは見えないような微生物ならいるかもしれない、ということで立案されたのが「ヴァイキング計画」です。
火星探査の「ヴァイキング計画」
火星と地球の距離は、2年2ヵ月ごとに接近しています。スキャパレリが“運河”を見つけたと言った1877年も接近の年でした。NASAはこの接近の時期にあたる1975年に、 2機の火星探査機を打ち上げました。それがヴァイキング1号・2号です。 両機はほぼ同じスペックで、そこに、機が失敗しても、もう機をなんとか成功させたいというNASAの熱意を感じました。打ち上げ翌年の1976年、それも7月までに、なんとしてでも火星に着陸して、生命を探させたい。それは、1976年7月4日が米国の200回目の独立記念日だったからです。 ヴァイキング両機は、火星を周回しながら安全に着陸できそうな地点を探し、1号は1976年7月20日にクリュセ平原に、2号は同年9月3日にユートピア平原に、無事に着陸しました。ともに中緯度の比較的平坦な場所です。両機はカメラで着陸地点周辺の写真を撮るとともに、シャベルで土壌を採取し、生命の調査のために分析しました。