【連載 大相撲が好きになる 話の玉手箱】第20回「予兆」その5
勝てば初優勝、という千秋楽の早朝、玉鷲は相撲どころではなかった
やっぱり新型コロナ禍のせいでしょうか。 それとも単なる偶然か。 最近は、まったく先が読めなくなりましたね。 たとえば優勝力士です。 令和2年秋場所、正代が優勝するって、誰が予想しましたか。 その前の照ノ富士も、そうです。 でも、勝負の世界に生きる力士たちの第五感というか、察知能力はたいへんなものです。 多くの力士たちがいち早く変化の兆しを感じ取り、その対処法を講じます。 そうしないと、生き馬の目を抜くこの世界では生き残れないんですね。 そんな兆しや予感にまつわるエピソードです。 ※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。 【相撲編集部が選ぶ秋場所千秋楽の一番】千秋楽も見事な押し。玉鷲が髙安倒し昭和以降最高齢優勝 福は福を呼ぶ 最後に、極め付きの吉兆を。平成31(2019)年初場所の覇者は西関脇の玉鷲だった。優勝マジックがいよいよ1となった14日目の夜、というよりは、今日勝てば初優勝、という千秋楽の早朝、玉鷲は相撲どころではなかった。 まだ東の空も真っ暗だった午前4時、エルデネビルグ夫人が2人目の子供である男の子を出産したのだ。愛妻家の玉鷲は大事な大勝負を控えているにもかかわらず、午前3時まで陣痛に苦しむ夫人に付き添い、いったん帰宅。3時間後の午前6時、息子誕生を知り、再び病院にかけつけた。 要するに、ほとんど寝ていなかったのだ。これには夫人も心配して、 「私はだいじょうぶだから、少し寝て」 と背中を押すようにして帰宅させた。それからおよそ11時間後、玉鷲は、 「奥さんが頑張ったので、今度は自分の番だ」 と自分に言い聞かし、西前頭9枚目の遠藤に頭から当たり、反撃するところを左から鮮やかに突き落とし、待望の初優勝を決めた。この決定的瞬間を館内のテレビで見届けた師匠の片男波親方(元関脇玉春日)は、 「朝、子供が生まれたと聞いて、あっ、これは優勝できるな、と思いました。子供は神さまからのプレゼントですから」 と大きくうなずいていた。 福は福を呼ぶんですよね。 月刊『相撲』令和2年11月号掲載
相撲編集部