連戦連勝のモンゴル帝国に欠かせなかった知られざる英雄、チンギス・ハーンの妻ボルテとは
抜け目のない戦略家
ボルテの影響力は自分の子どもやオルドの外にまで及んでいた。帝国におけるボルテの地位が高かったため、夫との距離が近く、チンギス・ハーンは政治から軍事戦略まであらゆることについて彼女の助言を求めた。 ボルテはその信頼を、チンギス・ハーンの親友たちに対しても有効に使った。そのうちの一人がジャムカだ。ジャムカは夫の親友で、誘拐されたボルテの奪還を手伝い、やがてジャダラン氏族のハン(カン、王)になった人物だ。 チンギス・ハーンとジャムカの連合関係が崩れつつある兆しをみたボルテは、夫であるチンギス・ハーンにジャムカとの友情を断ち切るように助言した。そして、1204年、チンギス・ハーンはジャムカとの戦いに勝利し、ジャムカを処刑した。 ボルテは、チンギス・ハーンの側近の一人であったシャーマン、テブ・テンゲリとの関係についても政治的に介入した。テブはチンギス・ハーンが権力を握ることを予言していたため、宮廷で役割を果たす権利があるように思われた。しかし、テブがチンギス・ハーンの弟を公然と侮辱したため、ボルテは一線を引き、夫にテブを厳しく罰するようにと主張したのだ。 「この事例の場合、皇帝チンギス・ハーンはボルテの助言に従い、民衆の秩序を回復し、自らの権威を強化しました」と、歴史家のドナ・ハミル氏は書いている。
帝国を支えた女性の存在
モンゴル帝国の野心的な女性たちに関する考古学的な証拠は乏しいが、歴史的な記述はモンゴルにおける妻たちが果たした役割の重要性を指摘していると、ブロードブリッジ氏は言う。 男性が戦闘に従事し、征服するための新天地を探す一方、女性は戦場で戦士たちを支える野営地と、帝国とともに拡大したより永続的な宿営地のどちらにおいても、日常生活の大半を管理していた。 大使であり、相談役であり、行政官でもあったボルテは、モンゴルの皇后の役割を確立した。ボルテは、長男のジョチがチンギス・ハーンの子どもではなく、メルキト族の誘拐犯の実子だという噂を覆すことさえできた。 ボルテの生涯についてはまだ多くが光を当てられていないが、ボルテはモンゴル帝国の成立と日常生活において女性が果たした重要な役割を示す一例だ。 チンギス・ハーンには信頼できる妻がいたかもしれないが、彼だけでなくモンゴル人たちも、急速に拡大するモンゴル帝国の領地で他の女性たちとともに彼女のことを必要としていたのだ、とブロードブリッジ氏は言う。「この女性たちがいなければ、モンゴル帝国は存在しなかったでしょう」
文=ERIN BLAKEMORE/訳=杉元拓斗