連戦連勝のモンゴル帝国に欠かせなかった知られざる英雄、チンギス・ハーンの妻ボルテとは
影響力をもつ女性たち
テムジンは何十年にもわたって他の部族を制圧し、モンゴル族を戦闘部族として束ね、より多くの領土を征服する恐るべき勢力に育て上げた。その間に、ボルテはテムジンの正妻になった。 長年にわたり、チンギス・ハーンは少なくとも6人の女性と結婚し、何百人もの妾を抱え、少なくとも13人の子どもをもうけた。しかし、最初の妻であり、最も寵愛を受けたボルテは、それらの女性の中でも最も影響力があった。正妻としてのボルテの役割には、夫の拡大する帝国を守ることも含まれていた。 ボルテの重要性は誰の目にも明らかだっただろう、と米マサチューセッツ大学アマースト校の歴史学教授で、『Women and the Making of the Mongol Empire(女性とモンゴル帝国の形成)』の著書があるアン・ブロードブリッジ氏は言う。 主要な夫人たちは自分のオルド(宮)を管理し、大勢のスタッフに世話をされていた。オルドには、妾や身分の低い妻から家畜の群れ、羊飼い、使用人、護衛にいたるまで、数百の人や動物が含まれることもあった。 遊牧民たちは次の目的地へ常に移動を続けるため、主要な夫人たちのオルドは移動可能だったかもしれないが、とても小規模とは言えなかった。それどころか、彼女たちのオルドは目がくらむほどの規模に達し、年代記を書く人たちや征服された人々の注目を集め、女性たちの富の歴史が記録として残された。 例えば、チンギス・ハーンの孫であるフビライの統治時代には、フビライの4人の妻のオルドには、使用人やスタッフを含めそれぞれ1万人もの人々がいた可能性がある。また、妻たちは何千頭もの動物や、何百台もの荷馬車とともに旅をした。 ブロードブリッジ氏によれば、ボルテのような主要な夫人は、居住地の中でも最高の場所を占有していたそうだ。「空間的な階層は社会的な階層を反映しています」 他の主要な夫人と同様、ボルテは5人の娘の結婚を監督し、政治的な影響力を拡大するために、地域の指導者の息子たちと婚約させた。また、ボルテは、新たな帝国であるモンゴル帝国の富と政治権力を引き継ぐ4人の息子、そして数人の養子を育てた。