<ワールドカップ>コートジボワールの強さの裏に「虎の穴」
■功労者ギユーの離脱 変化するアカデミー ミモシフコム出身選手が過半数を占めてきた代表だが、その構成には変化も見られる。今回のブラジル大会では、登録23人中ミモシフコム出身者は7人。約半数を占めてきた2006年、2010年大会と比べ、その数は減っている。ヤヤ・トゥーレら「黄金世代」に続く若手が出てきていない。比較的若い世代に入るジェルヴィーニョも、27歳である。この現象の原因の1つに、クラブ会長と決裂し、ギユーがクラブを去ったことがある。クラブの事務局長であるフランス人のブノワ・ユーは、「アカデミーの創始者は会長のロジェ・ウエニャンであって、ギユーではない」ことを強調する。だが、今大会の最終スコッドに名を連ねるミモシフコムOBは、全員がギユーの指導を受けた世代である。 ■アカデミーに大きな影響を与えた内戦 ギユーとの決裂以上に大きな理由は、2010年の内戦である。2002年以降、政情不安が続いてきたが、2010年から翌年にまで続いた内戦は、決定的な影響を及ぼした。経済的停滞と損失はクラブにも波及し、ミモシフコムは中学生年代のリクルートを廃止。現在、アカデミーは、14歳以上の選手しか受け入れていない。かつて、ミモシフコムは、12歳以下の子供たちを選考し、早い年代からの育成を行ってきた。ギユーと共に指導し、その後を引き継いだスイス人のワルテール・アマンは、「悪い癖のついていない子どもを選び、指導する」と、「原石」を早くから磨くことの重要性を説いていた。だが、アマン自身が、内戦で帰国を余儀なくされ、この理念は変更を余儀なくされる。 なお、代表には、国外で育成された選手が増えている。今大会の登録メンバー中8人を占め、ミモシフコムOBの数を上回る。コートジボワールで生まれるもフランスで育った選手といえば、ディディエ・ドログバがその代表例だが、マックス・グラデルも同様の道を経た1人である。フランス生まれの選手、更には、ノルウェー生まれで同国U19のマティス・ボリーのような代表選手が増えている。代表に占めるミモシフコム出身の選手が減っているとは言っても、必ずしもそれが代表の弱体を意味しているわけではない。