主将倒れ涙…元Jリーガー導いた名門校の「復活」 凋落から15年、やっと掴んだ選手権
昨年限りで退任した日比監督の後を継ぎ、98年度準優勝時の主将がチーム指揮
今の高校生は、かつての栄光は知らない。「帝京」の名で入部してくる選手もいない。高校選びで重視するのは選手権の成績ではなく「どのリーグ所属か」。15年には東京都リーグだったチームは日比監督就任4年目でプリンスリーグに昇格。東京都の高校で唯一のプリンスリーグチーム(当時)となり、選手が集まるようになった。 21年には高校総体への出場を果たし、22年には準優勝で日本一まであと一歩と迫った。しかし、選手権出場は遠かった。日比監督は昨年限りで退任し、母校でもある順大の監督へ転身。98年度準優勝時の主将だった藤倉寛氏があとを託された。 藤倉監督は日比監督の築き上げたスタイルを踏襲しながら、少しずつ変化も加えた。パスでの局面突破に加えてサイドからクロスも増やした。この日同点ゴールを決めた森田は「みんなはうまいけれど、僕は泥臭いプレーしかできない。クロスが増えたのは僕には良かった」と話した。 ミーティングでメンタルも変わった。砂押主将は「勝つことは義務ではなく欲求、と言われたのが響いた」という。これまでの「勝たなければ」がシンプルに「勝ちたい」に変わった。「日比監督がベースを作ってくれた。藤倉監督がメンタルな部分を強くしてくれた」と2人に感謝した。 藤倉監督自身は「僕は何もしていないので」と話し「日比監督のおかげ。受け継いだバトンを落とさなくてよかった」と、謙虚にいいながら笑顔を見せた。就任1年目で選手権キップ。「15年ぶりというのは意識しないで臨みたい」と全国を目指して話した。 選手権6回、高校総体3回、カナリア色のユニホームの左胸には「日本一」を表す9個の星が輝く。91年度の選手権制覇から33年、02年の高校総体優勝からも22年経つ。「選手権優勝しか掲げていません」と砂押主将。15年ぶりの選手権舞台で、10個目の星を手にするための戦いに挑む。 [著者プロフィール] 荻島弘一(おぎしま・ひろかず)/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。
荻島弘一/ Hirokazu Ogishima