「少年隊」錦織一清が性加害に口を開いた……若手にとって痛手だった「最も才能と男気のある彼」の脱退
株式会社SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)では「被害者救済委員会」のヒアリングを頻繁に行っており、いよいよ今月から具体的な救済がスタートするといわれている。 【スクープ!】井ノ原快彦が「社内掲示板」で明かした「新会社社長は東山紀之では無理な」衝撃の理由 そんななか、故ジャニー喜多川氏が「僕の最高傑作」と評した『少年隊』の錦織一清(58)が10月31日、舞台『蒲田行進曲完結編・銀ちゃんが逝く』のゲネプロ前挨拶に登壇。ジャニーズの性加害問題に初言及した。 「お許しいただけるのなら、もらった良いものだけは継いでいきたい。僕はやれることがこれしかないので。でも理解してもらうために時間がかかることはわかっている」 このコメントにはジャニオタたちの間から「さすがニッキ」と絶賛の声があがっている。1度目の記者会見でジャニー氏の性加害を「鬼畜の所業」と非難した東山紀之(57)をはじめ、ジャニタレの多くは厳しい言葉を使い断罪した。また、ジャニー氏の作・演出の舞台を引き継いでいる状態の『KinKi Kids』の堂本光一(44)は『チャーリーとチョコレート工場』公開ゲネプロ前の単独会見で、 「自分が知っている彼(ジャニー氏)と違ったりする部分もあるので」 「今もずっと迷いと葛藤の中にいる」 「彼(ジャニー氏)の裏の顔を信じたくない気持ちも正直あります」 と苦しい胸の内を吐露していた。錦織のコメントは、「辞めジャニだからこそ言えること」との声もあるが、納得する往年のファンは多い。 少年隊は、東山、錦織と植草克秀(57)の3人組で’85年12月、『仮面舞踏会』でデビューする。だが、その前から『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に出演し、『ハワイ音楽祭』で「金賞」を受賞している。デビューの前年には「郵便貯金ホール」で単独ファーストコンサートを開催。当時として異例の“1日5回公演”も行った。 「それぐらい、既に集客力があったということです。実は日本でのレコードデビュー時に全米デビューも発表され、候補の楽曲もあったそうですが、日本での活動が忙しくなり、企画は頓挫したようです。 それでも少年隊が海外のテレビ番組に出演したり、ステージに立ったりしている様子は、A.B.C-Zの冠舞台『ジャニーズ伝説』で披露されていました。『青山劇場』での冠公演『PLAYZONE』など’08年まで続いた彼らの活動は、“ジャニー氏の最高傑作”と言える華々しいものばかりでした」(民放音楽番組スタッフ) その翌年、デビュー前の『Kis-My-Ft2』のメンバーが主演を務めた『PLAYZONE 2009 太陽からの手紙』の演出をしたのが錦織だ。 「後に後輩たちの舞台を何本も演出し、『ニッキさん』と慕われていました。Jr.を含め、東山さんを慕っている後輩の話はあまり聞かれませんが、錦織さんはエンターテイナーとして尊敬もされていました。 今も歴代のタレントの中でもっともダンスが上手かった人として彼の名前を挙げる後輩たちは多いのです。錦織さんがジャニーズを退所したとき、驚きと落胆の声がかなり上がっていました」(アイドル誌編集者) 実は、ファンの間では、「男気に溢れている人」としても有名なエピソードがあるという。 ◆『フォーリーブス』の舞台に立ち、北公次さんの葬儀に供花も…… 「ほとんど報じられていませんが、フォーリーブスが再結成され、’02年、『中野サンプラザ』でコンサートが行われたときも、唯一、会場まで駆け付けたのは錦織さんでした。喜んだ江木俊夫さんがステージ上でそれを明かし、錦織さんを呼びこみ、マイクを通して挨拶もしたのです。 『今の僕があるのはフォーリーブスのお陰です』 と言っていましたね。当時、ジャニー氏を告発した北公次さんがメンバーにいるフォーリーブスのステージに事務所はいい顔をしていませんでした。それでもステージに上がることに躊躇はなかったそうです」(老舗芸能事務所幹部) 北公次さんは’12年に亡くなるのだが、錦織は、葬儀に供花もしている。 「ジャニーズ事務所はもちろんスルーでした。特に、北さんは亡くなる前日まで『ジャニーさんとメリーさんに会って謝りたい』と言っていたのですが、告別式に事務所からの供花はありませんでした。そこにも錦織さんは個人の名前で花を出しているのです。彼の男気には感服しましたね」(前出・幹部) タレントとしてのスキルも抜群なら、ハートもある錦織。今夏は高校時代の盟友、パパイヤ鈴木とダンスユニットを組み、ツアーを行っていた。 「その際、何社かの取材に応じていた錦織さんは開口一番、『なに? 今日は“第三者委員会”の話?』などと聞いていましたが、ジャニー氏の性加害問題に自ら触れることはありませんでした。一人での活動ではなく、パパイヤさんも一緒だったので発言を控えたのでしょう」(スポーツ紙記者) その後、多くの報道を目にし、メンバーだった東山が、エージェント制が導入される新会社の社長を降りたタイミングで、錦織が初言及したのである。 「意を決したと思う。追い込まれていたんじゃないかな」 そう東山を思いやった錦織。実は、退所した後も、ずっと後輩たちのことを気にかけていたという。岡田准一、二宮和也、生田斗真と退所ラッシュが止まらない旧ジャニーズ事務所だが、事務所にとっても、若いメンバーにとっても、もっとも残ってほしかったのは錦織一清だったのではないか。今後の彼の発言にも注目が集まる。
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