『街並み照らすヤツら』澤本が正義を窮地に追い込む かくれんぼと鬼ごっこにおける“善悪”
彩(森川葵)を迎えに実家まで行ったはいいものの、突然押しかけてきた澤本(吉川愛)に邪魔をされ、挙句には彼女に促されるまま逃亡することになってしまった正義(森本慎太郎)。その頃、商店街では本物の強盗が現れ荒木(浜野謙太)が襲われて重症。大村(船越英一郎)も意識不明の重体に陥り、さらに彩の実家にはシュン(曽田陵介)が現れるなど、かなりしっちゃかめっちゃかの状態から始まった、6月8日放送の『街並み照らすヤツら』(日本テレビ系)第7話。 【写真】彩(森川葵)と笑い合う正義(森本慎太郎) とはいえ“追われる者”である正義と、“追う者”である日下部(宇野祥平)という関係性は維持されながらも、両者の単純な追いかけっこが繰り広げられるような、逃亡劇ドラマに転じることはない。ほとんど暴走気味の澤本を連れ戻すだけの格好になった日下部は、大村が入院している病院を訪れ、そこで担架に乗せられ運び込まれてくる荒木に遭遇。一方で正義は翌朝、入院しても誰も見舞いに来ないことに不平不満を漏らす荒木からの電話を受け、こっそりと商店街へと戻ってくることになるのだ。 ちょうどそのタイミングで商店街を日下部と歩いていた澤本は、正義の姿に気が付き日下部の注意をそらす。今回のエピソードでいくつか見られた大捕物へのプロセスは、正義をめぐる一連に限っていえば「鬼ごっこ」のような“逃げる/捕まえる”というものではなく、“隠れる/見つけるor見落とす・見逃す”という「かくれんぼ」のそれに近い。一方で、正義たち商店街の面々が本物の強盗を捕まえようとする一連では、正義と龍一(皆川猿時)が“隠れながら見つけ”、逃げ出そうとした一人を荒木が足をかけて捕まえるという、「かくれんぼ」と「鬼ごっこ」を両立させたようなプロセスで描写される。 「鬼ごっこ」が絶対的な善悪の対峙として、また「かくれんぼ」が相対的かつ限りなく曖昧な善悪の対峙と仮定したら、これらの描写の棲み分けは非常にわかりやすい。このカフェでの一悶着で正義と龍一のように偽装強盗をめぐる後ろめたさを抱えた者は「かくれんぼ」における善悪の両面を同時に背負い、荒木のように開き直った者は本物の強盗に対して“捕まえる”という「鬼ごっこ」における善に易々となりきれる。また、彼ら本物の強盗たちが同じようにシャッター街と化した商店街の店主たちであり、正義たちが同情を示す流れも、この善悪の曖昧さを踏まえれば納得がいく。 さらに終盤、本物の強盗たちに正義の名を騙って指南役をしていたとしてこの物語に飄々と舞い戻ってきたマサキ(萩原護)にまんまと逃げられてしまう正義たち。かと思えば、半ば偶然の鉢合わせでありながらも逃げようとしたマサキの腕をしっかりと掴んで捕まえることに成功した日下部。この両者のマサキをめぐる対比もまた然り。「鬼ごっこ」における善は日下部であり、悪はマサキ。そしてマサキを捕まえられない正義たちは、そのどちらにも当てはまらない曖昧な立ち位置を浮遊しているままなのである。 もちろん日下部が正義を“捕まえる”までに至らないのは、そこにまだ彼を悪とするだけの確証が得られていないからであり、同時に澤本という“見逃す”者が近くに存在するからである。この澤本が(その動機の歪さはさておき)ようやく刑事の本分に則った行動に乗りだすとなれば、正義はいよいよ窮地に立たされることになり、混沌としている善悪は一つの方向へと正常化されていくことになるだろう。ところで、家で襲われたらしい大村は、本当にあの3人の仕業なのだろうか?
久保田和馬