河合優実×金子大地×寛一郎にとって“いい映画”とは?『ナミビアの砂漠』インタビュー
映画とはどのタイミングで出会うかが大事
──この映画を拝見したとき、なんていい映画なんだ、この映画をつくり出してくれてありがとうと感謝を伝えたくなったんですね。そこで最後に質問させてください。みなさんにとって、“いい映画”ってどんな映画ですか。 河合:え~。 金子:めちゃくちゃ難しいね。 河合:逃げたい、この質問から(笑)。 一同:(笑)。 河合:でも、そんなふうに、この映画をつくってくれてありがとうという気持ちになれる映画は、“いい映画”なんだと思います。私も映画を観て、そういう気持ちになったことは何度もあるし。自分の中での評価はイマイチでも、つくってくれてありがとうと思う映画もある。観たあとに、つくった人たちに向けて何かを言いたくなる映画は“いい映画”だなっていうのが、私の中で一つの指針としてあるかもしれないです。 金子:いい映画かいい映画じゃないかみたいなところは、おこがましくて僕が何か言えるような立場じゃないと思っているんですけど、やっぱり自分が好きな作品はありますよね。ただそれもどういう状況で観るかによって変わってくるなと思います。映画って状況によって感じ方とか捉え方が変わるものだと思うから、どのタイミングで出会うかが僕にとっては、すごく大事。そのことを前提にした上で、あえて“いい映画”の条件を挙げるとしたら、つくり手が魂を燃やしてつくったんだろうなと感じられることかなって。俳優さんもスタッフさんも、大変だったんだろうけど、すごい熱量をこめてつくったんだろうなっていうのは、観るとなんとなくわかるじゃないですか。演者として、そういう作品を観ると、自分も出たいなって思いますかね……。あー、でもわからない。やっぱり難しいな。寛ちゃん答えて!(笑) 寛一郎:大地の言ってることは、本当その通りだと思う。アートもそうですけど、自分のコンディションによって見え方も感じ方も全然変わってくるものだと思うんですよ、映画って。だから、“いい映画”と感じるかどうかは、作品そのものより、自分がどういう状態なのかのほうが大事な気がしますね。たとえば、今の僕のコンディションで言うと、画がどうだとか、お芝居がどうだとか、音楽がどうだとか、いわゆる“いい映画”の基準みたいなものはどうでもよくて。それよりも“なんかやってんな”という空気のほうが今の僕にとっては断然大事なんです。だから、最近いわゆる“いい映画”とされそうな小難しいものを観ても退屈しちゃって。今欲しているものは、面白いこと。この『ナミビアの砂漠』がまさにそうですよね。クスッと笑えるユニークなところがあって、画面のあちこちから“なんかやってんな”という空気がはみ出ている。それこそまだ自分にないものをどんどん取り入れていく感覚になれる映画だと思うし、きっといろんな人が僕と同じ気持ちになってくれるんじゃないかなと思います。