伊藤沙莉こそ真の国民的俳優である 『虎に翼』で生き続けた、社会が求めたヒロイン像
数々の名作をバイプレイヤーとして脇から支え、ときに主役として作品の看板を背負ってきた伊藤沙莉は、かねてより多くの人々にとって国民的俳優として認識されていたことだろう。けれども朝ドラ『虎に翼』(NHK総合)という傑作を半年にわたって仲間たちとともに率いてきたいま、彼女が真の国民的俳優であることに誰も異論はないはずだ。彼女はそれだけのことを、この作品でやってのけたのだから。 【写真】『虎に翼』で真の国民的俳優となった伊藤沙莉 伊藤は子役時代からキャリアをスタートさせ、人生の大半を俳優として過ごしてきた存在だ。かつて朝ドラは「新人女性俳優の登竜門」と呼ばれていたもので、たしかに朝ドラへの出演を機に飛躍し、大成した者は少なくない。まだキャリアの浅い者にしか発することのできない演技の瑞々しさは、大志を抱いて一歩ずつ進んでいくヒロインの姿と重なり、私たち視聴者は彼女(ヒロイン=演じる俳優)らのことを応援せずにはいられなくなるものだった。 しかし、扱うモチーフやテーマによっては、やはりまだ経験値の低い俳優が主演では心許ない。劇中でヒロインが成長するのに比例して演じる俳優の力も上がっていくわけではないのだ。この主演俳優の力不足を周囲の者たちが補うことで生まれる美点もあるわけだが、ここでその話は置いておく。つまり、作品によってはどうしたって実力のある演技者が求められることになるわけだ。『虎に翼』の概要と主演が伊藤沙莉であることが発表されたとき、誰もが大きく頷いたに違いない。 伊藤はいまから7年前に放送されていた『ひよっこ』(2017年度前期)ではじめて朝ドラに出演。同作は将来を嘱望される若手俳優たちが名を連ねたもので、いまでは誰もがエンターテインメントシーンの第一線に立っている。そのうちのひとりが伊藤だったわけだ。事実、視聴者層がほかのどんな作品よりも朝ドラは幅広い。それまでにもさまざまな作品で主要な役どころを務めることもあった伊藤だが、『ひよっこ』で彼女の存在を知り、その頭抜けた芸達者ぶりに魅せられた人はかなり多いことだろう。 その後は『寝ても覚めても』(2018年)やNetflixシリーズ『全裸監督』といった話題作で支柱となるような重要な役どころを担い、『タイトル、拒絶』(2020年)、『ちょっと思い出しただけ』(2022年)などの主演作を得てきた。参加する作品のジャンルも規模間も演じる役のタイプもバラバラ。何作品かだけでも観れば、誰だって彼女の圧倒的な力の大きさに気がつくはずだ。毎話放送されるたびに反響を呼んだ『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021年/カンテレ・フジテレビ系)でナレーションを担当していたのは作り手たちから信頼されている証だろうし、舞台作品での彼女のパフォーマンスに触れれば肌で感じることができる。 そう、優れた演技者だけが持つ力を。 さて、いよいよ最終回を迎える『虎に翼』で伊藤が演じてきたのはご存知、ヒロインの寅子だ。男性ばかりの法曹の世界に足を踏み入れ、戦争や愛する人たちとの別れを経験しながら、つねに弱い立場にある者、いやもっというと、すべての他者を尊重してきた。ここまで伊藤が体現してきたのは、寅子が寅子自身の人生を掴み取ること、そして自分と同じように他者の人生を尊重することだったと思う。この生き様は、異なる時代を生きる私たち視聴者にも多くの気づきを与えてくれるものだったのではないだろうか。寅子たちの生きる時代のことを私は身をもって知っているわけではないが、この現代だってつねに激動の時代だ。いつ自分の人生が他者に奪われてしまうか分からないし、いつ自分が思いがけず他者の人生を奪ってしまうことになるかも分からない。私たちは絶えず揺らいでいる。“伊藤沙莉=寅子”も、ずっと揺らぎ続けてきた。 若き日の寅子はあらゆる物事に好奇心旺盛で、快活な女性だった。そしてそれは裁判官となったいまも変わらない。いつだって彼女は明るく陽気だ。それでいて、他者に向き合う際の深度は年齢を重ねるごとに変わってきた。軽やかだった伊藤のセリフ回しはしだいに重みが増し、それは一つひとつのセリフ=言葉の重みに強く影響している。加齢を表現するメイクはしているものの、正直なところその見た目はほとんど変わらない。にもかかわらず、一挙手一投足やセリフの発し方には、あきらかな変化が認められる。セリフを発する際の呼気の量が違うように感じるのだが、どうだろうか。画面にハッキリとは映らないが、呼吸のリズムが変わっているように感じるのだ。 私たち視聴者は寅子とともに、命や結婚制度、ジェンダーギャップなどをはじめとする、さまざまな問題に向き合ってきた。いずれも現代社会においても変わらず横たわっているものたちだ。寅子はどこにでもいる少女から、法曹の世界の権力者へ。その過程で、あらゆる人々の声に触れてきた。そこで寅子が返す言葉は、決して唯一解ではないだろう。生きている環境が異なれば、上げる声も返す言葉も変わってくる。大切なのは、まずは知ること。そして想像し、思考することだ。自分の心と頭で。これは時代が変わっても、他者と共生しなければならない社会において変わらず必要とされるものではないだろうか。 誰かとの関係というものは、会えなくなったからといって終わるものではないと思う。寅子が関わってきたすべてのキャラクターが彼女の中に息づいているのを感じているのは、きっと私だけではないだろう。“伊藤沙莉=寅子”とは、いま求められる、いや、時代が、この社会が、つねに求め続けていたヒロインなのではないだろうか。ドラマが終わっても、彼女たちは永遠に生き続ける。私たちが他者との関係をあきらめないかぎり。
折田侑駿