東大合格は“親ガチャ”のおかげ?合格者たちは「努力の賜物」と口を揃えるけれど
見えない格差の壁
ここから、「東大生たちは、運に恵まれていることにスタートラインを引いている」と考えられます。 東大生たちの努力が実を結んだのは、「彼らの努力の方向性が適切であり、その努力を適切に伸ばせる環境が用意されていて、その努力を継続したから」だと考えられます。また、能力の伸びしろとしてある程度の才能も必要でしょう。 このうち、東大生が関与できる「努力を成功させるための要素」は2つしかありません。「自分の能力に対して適切な努力の方法を考えること」と「自分が決めた努力をやり続けること」です。 場合によっては、「適切な努力の方法」は周囲から与えられるケースもあります。 例えば、進学校や進学塾に通っている子どもたちは、自分で何の単元をどのように勉強するべきかを考える必要がありません。与えられたカリキュラムに沿って勉強していれば、いつかは東大合格に届くだけの学力が養成されるためです。 ですから、進学校出身者や進学塾出身者の成功要因は、そのほとんどが運によるものです。たまたま、教育投資に熱心な親元に生まれて、勉強が得意な脳みそを備えており、通える範囲に学習塾や進学校などの潤沢な勉強資源があった。これらは、一人の子どもが用意できるものではありません。すべて、運によって与えられるものです。
東大生は努力を過大評価している
それに加えて、努力を続けるだけの精神力があった。これは、本人のやる気に起因しますから、彼らの言うところの「努力」要因にあたるでしょう。たしかに、努力を続けることは大変です。しかし、これだけをもって「東大に努力でもって合格できる」と言っていいものでしょうか。 とはいえ、与えられた環境に文句を言うだけでは状況は好転しません。成功をつかむためには、自分から環境を改善させようとする努力が必要であることは確かでしょう。成功要因は99%が運によるものかもしれませんが、どれだけ運がよくても、1%の努力がなければなしえないものなのです。だからこそ、どんな環境にいたとしても、努力は決して無駄にはなりません。 東大生は、自身の努力を過大評価しているようにも思えます。そこから生まれる自己責任論は、社会的弱者には重荷としてのしかかるものです。確かに自助努力は必要で、誰かに寄り掛かるだけでは成功はできません。しかし、周りのすべての環境要因を当たり前のものとするような、その態度は、民衆を導くエリート候補生としてふさわしくないものであるように思えます。 進学校や進学塾から「投資漬け」になって生まれる東大生たちが、より広い視野を持てることを願います。<文/布施川天馬> ―[貧困東大生・布施川天馬]― 【布施川天馬】 1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。(Twitterアカウント:@Temma_Fusegawa)
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