『水間の観音さん』に行く電車で「活気とドラマがあった」駅へ 車掌の帽子をかぶって『貴重な体験』に兵動さん興奮! 大阪・貝塚【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】
1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ ■【動画】『水間の観音さん』に行く電車で「活気とドラマがあった」駅へ 車掌の帽子をかぶって『貴重な体験』に兵動さん興奮! 大阪・貝塚
【兵動さん】「今回は南海・貝塚駅前からスタートです。泉南の下町情緒があるすてきなところです」
【兵動さん】「すごい人やね。“今昔(さんぽ)あるある”でいうと、“この電車が最後の日”とかは結構あるんですよ。電車の車体に(書いてあるのは)貝塚~水間(みずま)の区間ということか。みんなこっち向いているから、(電車を)降りていっているのかな。ちょっと(街の人に)聞いてみる?」 それでは聞き込み開始!
【兵動さん】「今、作業中ですか?」 【街の人】「10時の休憩」 職人の方たちが休憩を取っているところでした。 【街の人】「僕ら職人は10時、お昼、3時に休憩。(Q.仕事は何時から?)8時から(塗装を)やっている」 【兵動さん】「2時間ごとに休憩?めちゃくちゃええやん。これね、昭和47年の写真やねんけど…(写真を見せる)」 【街の人】「今、ガラガラ」 「電車はあるけど」 【兵動さん】「この電車、今あるんですか?」 【街の人】「水間(みずま)線はここ(貝塚駅)からあるから」 【兵動さん】「『水間線』というのがあるの?」 【街の人】「そうそう。水間の観音さんってあるんですよ。その観音さんに行くのに僕らは子どもの時とかよく乗ったんですけどね」
貝塚駅と水間観音駅をつなぐ全長5.5キロメートルの「水間鉄道」。もともとは大正時代、“水間の観音さん”こと「水間寺」への参拝客のための交通手段として誕生しました。 その後、泉南エリアが繊維工業で栄えたため、通勤・通学の手段としても大人気だったのですが…。 【街の人】「今はもう車に乗るようになってからは乗らないですけどね」 「車ですね、僕も」 「僕も車です」 【兵動さん】「みんな車になっていっているんや。何歳くらいですか?」 【街の人】「僕は50歳です」 【兵動さん】「じゃあ(兵動さんと)同じくらいの世代や。(この方は)乗ったことある。(若い女性に)乗ったことは?」 【街の人】「私1回あります。水間観音行くのに」 写真は「水間鉄道」であるという情報を得ましたが…。 【兵動さん】「水間鉄道というところがあって、貝塚から出てるって言ってたけど。(写真の)ここがどの駅かまでは分かれへんねんな。ちょっと聞きこんでみよう」