「40代の自分が『若手』」 能登半島「複合災害」で介護職が苦境に、目立つ若い人の離職
高齢過疎地域ならではの影響もある。福祉防災学を専門とする、同志社大学社会学部の立木茂雄教授は、高齢者や障害者を支えるはずの介護職そのものが危機的状況に陥っていると懸念している。今年6月末、標準的な計量経済モデルを使い、輪島市では約400人の介護従事者が不足すると割り出した。 「地震発災後は利用者が広域避難して介護需要が急減した。そのため、介護事業者の経営が立ち行かなくなってケア人材も流出。復旧途上で事業再開ができない施設もある。水害後に地域の脆弱な介護体制を補い合うには事業者間を調整して、助け合いによってケアニーズに応えていくことも必要ですが、自治体職員も削減されて支援の調整が進みにくいのが現状です」 ■利用者が減って職員も減収、若手職員の離職が目立つ 実際、ケア職が苦境に陥っている状況はある。輪島市の「あての木園」もその一つ。同デイサービスセンターで生活相談員を務める干場(ほしば)朝勝さん(44)によれば、地震後になんとか復旧していた六つのトイレが、豪雨後の「再断水」により三つ使えなくなったという。復旧の繰り返しで暮らしの制限が長期化する中、施設利用者も職員も強いストレスにさらされていると言う。 「介護スタッフがいなくなっている中、被災した職員自身が被災者のケアに当たるという困難な状況が続いています。ケアが必要な人たちが目の前にいて、なんとか少ない人数でも応えてあげたい気持ちなんですけど……」 そもそも地震の後、多くの利用者が避難し、以前は30人いたデイサービスの利用者が3人にまで落ち込んだ。その後、徐々に回復し、地震前の半分まで回復したところで水害が襲った。 利用者減により、介護職員の手当はカットされ減収が続く。職員数も大幅に減少し、特に若手職員の離職が目立つ。「40代の自分が『若手』と呼ばれる状況」と干場さん。さらに水害で、一部の職員は自宅が被害を受け、休職者もいる中、現場の人手は足りない。 干場さん自身も、土砂災害で自宅に戻れず、親戚宅に避難している。裏山が崩れて家まで土砂が迫り、土砂撤去を依頼するも、市と県の調整で作業の待機が続く。仮設住宅も順番待ち。「自宅で年越しは無理かな」と諦め顔だ。