「人民寺院」事件の無惨な現場、約束の地は一瞬で地獄に変わった、元米兵の新たな証言
時が止まった町
一瞬でゴーストタウンとなったジョーンズタウンには、最後の時を迎えたコミューンの混乱ぶりを伝えるものが残されていた。地面には紙コップ、テーブルの上には注射針が散乱し、人々は互いに抱き合いながら死を迎えた。 200リットル入りのドラム缶のなかには、紫がかった色の液体が入っていた。シアン化物、鎮静剤、粉末ジュースを混ぜ合わせたものだ。ネタビル氏は、軍の誰かがその中身を地面に流していたことを覚えている。 ジム・ジョーンズのキャビンに入ると、彼が人民寺院をどのように運営していたかを垣間見ることができた。「家族の写真が何枚かありました」と、ネタビル氏は言う。ジョーンズは、自分の家族は人種が入り混じっていることをアピールしてメディアや信者の印象を操作し、内部で起きていた虐待の批判をかわそうとした。 ネタビル氏は、現場で見つけたバールを使ってジョーンズの自宅にあった大きな金庫をこじ開けた。 「中には、大量の年金小切手が入っていました」。高齢の信者が毎月小切手で受け取る年金を寺院に献金として納めていたものだった。「パスポートが入った箱もたくさん出てきました。ジョーンズは、信者のパスポートを取り上げてコミューンから逃げられないようにしていたのです」
生き延びた人々
それでも、土壇場で死を逃れた者もいた。オデール・ローズさんは、集団自殺が始まったのを見るとすぐに身を隠し、近くの村に逃げ延びた。ヒヤシンス・スラッシュさんは、事件が起こっていたときに自室で寝ていたために生き残った。 ティム・カーターさんは当日、集団自殺が始まった直後に特別任務を受けてコミューンを離れた。ジョーンズの愛人の一人が、現金の入ったスーツケースをカーターさんに託し、首都のジョージタウンにあるソ連大使館まで運ぶよう依頼していたのだった。 しかしコミューンを出る直前、カーターさんの目の前で、彼の妻と赤ちゃんは死亡した。「その後は、何も考えられませんでした。頭のなかでは、『死んではいけない、死んではいけない、死んではいけない、生きろ、生きろ、生きろ』という言葉がぐるぐると回っていました」 生き延びられなかった人々は、遺体収納袋に入れられてジョーンズタウンを後にした。遺族に引き取られて葬られた人もいたが、そうでない409人の遺体は、カリフォルニア州オークランドにある集団墓地に埋葬された。 初期対応をした人たちの仕事は終わったが、ジョーンズタウンでの恐ろしい経験は、彼らの心に決して消えることのない傷を残した。オールドスパイスを付けたマスクで死臭を隠そうとしたネタビル氏だが、いまだにあの臭いが忘れられないという。「あれ以来、二度とオールドスパイスは使っていません。あの臭いにはもう耐えられないのです」
文=Parissa DJangi/訳=荒井ハンナ