吉本新喜劇・島田珠代(53)「高校2年生で吉本入り」女を捨てようと覚悟したあの日
島田さん:放課後、毎週火曜と金曜に舞台に立っていました。山田花子ちゃんは中3でレギュラー権を獲得していましたし、当時は、やるなら高校生からという人も多かったんです。 ── 島田さんの芸風は「奇天烈、かつ女を捨てたような」と形容されていますが、当時からですか? 島田さん:ハチャメチャなひとりコントをやっていました。私が出ていた二丁目劇場は若い女の子のお客さんが多かったので、女っぽくしていたら全然笑ってもらえなかったんです。
劇場の女子トイレがファンと共用なんですけど、女っぽいコンビはそこでファンにつめよられていたので、その光景を見て「女捨てよう」と決めました。
■「笑いがとれない…」吉本新喜劇で感じた壁 ── 2丁目劇場でデビューしてから、いつ新喜劇へ? 島田さん:2丁目劇場を立ち上げたのが大﨑洋さん(吉本興業株式会社の元社長・元会長)だったんです。でも1989年にダウンタウンさんが東京に行って、大﨑さんは新喜劇の立て直しのために異動。
「僕について、新喜劇にきてくれる人はいますか?」って聞かれて。私たちにとって大﨑さんはお父さんみたいな人なので、東野さん、今田さん、130Rさん、石田靖さん、山崎邦正(現在の月亭方正)さんなど、みんなでついていきました。 元からの座員と新しい若手メンバーをうめだ花月の座席に座らせて、大﨑さんが舞台上でマイク持って「僕は新喜劇を新しくするので、新しいメンバーを連れてきました。このメンバーと一緒にやれる人だけ残ってください」って言ったんです。
古株の方は「なんやねん、それ!」「大﨑、お前が新入社員のとき、俺ら、何度飯おごったってん!」って。どこから来たかわからないような20代のメンバー40~50人といきなり一緒にやるなんて、ととまどってやめた方もいました。あのときの大﨑さんはカリスマで、かっこよかったです。 ── 新喜劇の改革時期に座員になったんですね。島田さんへの新喜劇の観客やまわりの反応は? 島田さん:2丁目劇場のときと変わらない芸風でそのまま舞台に出たら、やっぱり古株の方に怒られました。新喜劇では、女の子はそんなハチャメチャやらんもんやって。