西郷隆盛が大久保利通の写真を「醜体」と記す手紙 100年ぶりに再発見 西郷の写真嫌いを象徴 「まごうことなき直筆書簡」と専門家
■西郷隆盛の「直筆書簡」100年の時を超え再発見
西郷隆盛が大久保利通に送った「直筆の書簡」が発見されました。書簡には、大久保利通の肖像写真について「醜体」と批判する記述も残されていて、西郷隆盛の写真嫌いが伺えます。 滋賀県によると、去年、大津市に住む人から、滋賀県立琵琶湖文化館に寄託された文化財の中に、「西郷隆盛自筆書簡」が含まれていました。 アメリカに滞在していた大久保利通に宛てた「書簡」の原本で、1927年に刊行された『大西郷全集』第2巻に写真図版付きで紹介され、豊富な情報を伝える一級史料として知られ日本近代史研究の中でしばしば引用されていましたが、その後100年近く原本の所在がわからなくなっていて、およそ100年の時を超えて再発見されたということです。
■大久保利通の肖像写真は「醜体」
今回再発見された「西郷隆盛自筆書簡」は、1872年(明治5年)に「留守政府」の首班として日本の政治を守っていた西郷隆盛から、アメリカに渡っていた大久保利通にあてたもので、書簡には、大久保出発後の国内状況がつぶさに記されています。 西郷が、大久保の肖像写真について「醜体」と批判する記述もあり、西郷の写真嫌いを象徴する発言も残されていました。
■「まごうことなき直筆書簡」専門家も喜び
公益財団法人 西郷南洲顕彰会の高柳毅専門委員は、「まごうことなき、南洲隆盛の自筆書簡。筋が通り、均一の行間で書かれるなど筆跡の特微が如実にあらわれている。内容は周知のものだが、まさか今に実物が出てくるとは驚いた。良いものが見つかってうれしい限りだ」とコメントしています。
また、京都大学で日本近代史を教える白木正俊さんも、書簡の再発見を受けて、「西郷の書簡は多く存在するが、在米の大久保利通のもとへ国内状況をつぶさに報告した内容は、一級史料として特に貴重なもの。京都市の政治家である坪田光蔵から服部岩吉に贈られた点にも関心を抱く。坪田は立憲政友会、京都民政会、自由党などに属した政治家で、服部とは旧知の間柄であったと推測できる。また1961年(昭和36年)時点で滋賀県スポーツ会館取締役を務めるなど滋賀県 との関係もあった。寄贈の時期は不明だが、京滋の政治家がともに西郷隆盛を敬慕し、遺墨を愛蔵した時代があったのだろう」とコメントを寄せています。
関西テレビ
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