二十歳のとき、何をしていたか?/松尾スズキ 「演劇ってこんなに自由なんだ」と気づいた10代の終わり。紆余曲折ありながらも不正解だけは選ばずに来た、自分の実力よりもちょっとだけ〝ついていた〟人生。
漫画家を目指す青年が、演研に入部したワケ。
2019年、東京成人演劇部という新しい劇団が誕生した。主宰者は大人計画を率いる松尾スズキさんで、3月には2回目となる公演を控えているという。松尾さんはこの〝演劇部〟を旗揚げした理由を「演劇を始めた頃の気持ちでもう一度やってみたかった」と語る。 【取材メモ】松尾さんは大人計画を旗揚げして間もない頃、宮沢章夫さんが放送作家を務めていたラジオのコント番組に、松尾貴史さん、ふせえりさんとともにレギュラー出演していたそう。 「大人計画では、幸いなことにいつも大きな公演をやらせてもらえて、1,000人以上のお客さんを笑わせるっていうのはなかなか快感なんです。だけどそのぶん、興行に対する責任も背負わざるをえなくて、年をとるほど疲弊してくるわけで。ときどき思い出すんですよね、『大学の演劇研究会でやっていた頃は、お金のことなんて関係なく楽しい芝居ができていたなぁ』って。それでかつて早稲田大学の演研に所属していて、そのムードをよく知っている安藤玉恵さんと一緒にやることにしたんです。大人計画には演研出身の人って意外といないので」 この話からもわかるとおり、松尾さんが演劇の道を歩み始めたのは、地元である九州の大学に入学した、18歳の終わり頃。どうして演研を選んだのだろう。 「ずっと漫画が好きで、高校のときに漫画の賞に応募して結構いいところまでいっていたんですよ。だから、漫画研究会に入るつもりだったんですけど、部室を覗いてみるとみんなめちゃくちゃ絵がうまくて。赤塚不二夫さんみたいなギャグ漫画を描いていた僕には、まったく太刀打ちできなかった。そんなとき、斜め前の部室から演研の発声練習が聞こえてきて。公演を見に行ってみたら、つかこうへいさんの作品をやっていたんですけど、すごく面白かったんですよ。それまで演劇って説教くさいものかと思っていたんですけど、毒のあることばっかり言っているし、『演劇ってこんなに自由なんだ』と。それで入部したんです」 そんな不測の事態によって演研に入部した松尾さんだったが、どうやら性に合っていたもよう。最初は先輩の公演に出演していたが、部室に置いてあった大量の戯曲を読むうちに、興味は書くほうへも向かっていったという。 「それまで漫画と小説しか読んでこなかったので、こういう表現の形態があるんだなってことがまず刺激的でした。つかこうへいさん、野田秀樹さん、唐十郎さん……いろいろ読み漁りましたね。みんなスタイルが普通のエンタメとは違って、これだったら自分も書けるんじゃないかなと思ったんです。それで最初に終わりまで書ききれたのが、二十歳の頃かな。完結させられるっていうのは重要なんですよ。漫画を書いてもなかなか完結させることができなかったけど、演劇だったら無理に起承転結を作らなくても、自分の思いをつなげるだけで完結まで持っていける。その発見があったから今も書いてられるんだと思います」 書き上げた戯曲は『松果村心中』! 気になりすぎるタイトルだ。 「昔の日本には〝瞽女(ごぜ)〟という盲目の三味線弾きの女性がいたといわれていますよね。その女性が三味線ではなく便所の汲み取りをしながら歌っていると、汲み取りの作業員とひと悶着あるっていうひどい話(笑)。その公演は自分で演出と出演もしていました。公演当日はすごい緊張したと思うんですけど、達成感みたいなものがやっぱりあったんでしょうね。まぁ、自分で書いて演出して出るってことをやらせてもらえなかったら、そこまで入れ込んでなかったかもしれません。割と先輩たちがゆるかったのでできたんですけど、早稲田の演研とか厳しいらしいですから。マラソンをやらされたり。それだったら、絶対に続かなかった」