「地下鉄サリン事件」はどんな事件だったのか
なぜ首都圏で凶行に及んだのか
サリンを散布した地下鉄は、いずれも霞が関や国会議事堂、永田町と、中央官庁が集中するルートを通ります。サリンによるテロがこれらの駅で最大効果を生むように仕組まれ、国家機能のマヒを狙ったものでした。 オウム真理教は地下鉄サリン事件以前にも、「坂本堤弁護士一家殺害事件」(1989年11月)や「松本サリン事件」(1994年6月)、「目黒公証役場事務長の仮谷清志さん拉致事件」(1995年2月)など、数多くの事件を引き起こしています。 裁判で検察側は、地下鉄サリン事件を起こした理由について、一連の事件の容疑団体として監視されていた教団側が、警察の目を逸らすためと主張しました。事実、事件の2日後には、山梨県上九一色(かみくいしき)村にあるオウム真理教の建物への強制捜査が控えている状況でした。そのため、先手を打って首都圏を混乱に陥れるような事件を起こしたという見方がされています。
発生から17年、特別手配犯を逮捕
事件から2日後の3月22日、山梨県上九一色村の教団施設に強制捜査が入りました。また、同年5月15日には、松本智津夫をはじめとする教団幹部、信者15人を地下鉄サリン事件の殺人、同未遂容疑で逮捕。2011年11月にはオウム真理教関連事件で起訴された189人すべての裁判が終結しました。 一方、長らく特別手配されていた平田信、菊地直子、高橋克也の3人は、2011年から2012年にかけて、出頭や情報提供によってついに逮捕。これにより、地下鉄サリン事件の犯人捜索は終結しました。ただし、オウム真理教が引き起こした犯罪の数々は、いまもなお公判中となっています。 地下鉄サリン事件は、世界で初めて大都市で化学兵器を用いた無差別テロとして、国際社会でも犯罪史上例をみない残虐極まりない犯罪です。被害者の中には、今もなおPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいる人が多くいるという事実を忘れてはなりません。 (南澤悠佳/ノオト)