「地下鉄サリン事件」はどんな事件だったのか
オウム真理教による「地下鉄サリン事件」から19年。朝の通勤ラッシュ時の地下鉄に猛毒である「サリン」が散布され、その被害は死者13人、負傷者は6,000人超にも上りました。社会に大きな衝撃を与えた事件ですが、発生から長い歳月が経つにつれ、事件を知らない世代も増えています。そこで、「地下鉄サリン事件」がどのような事件であったのかをおさらいしつつ、今もなお残された課題についてまとめてみましょう。
事件を起こしたオウム真理教とは
オウム真理教は、麻原彰晃(本名:松本智津夫)を教祖とした1987年に設立した宗教団体です。瞑想とヨガ修行による「解脱」を目標に、布教・宣伝活動を行っていました。 入信には不動産や預貯金などの全財産を寄進。それらの財源をもとに、山梨と静岡の両県に「サティアン」と呼ばれた大規模施設群を造り、ニューヨークやロシアなど海外にも進出。拠点の拡大を図っていました。最盛期には1万人以上の信者がいたといわれています。
地下鉄サリン事件の概要
1995年3月20日午前8時ごろ、営団地下鉄(現・東京メトロ)の丸ノ内線、日比谷線、千代田線3路線の計5本の車内に、猛毒のサリンが撒かれました。ビニール袋に入れられたサリンはドア付近に置かれ、実行犯たちは下車直前に傘の先でパックを突き破って逃走。走行中の車内にサリンが拡散されるにつれ、体調に異変をきたした人が次々に倒れました。 さらに、被害者の衣類などにしみ込んだガス成分によって、救出に当たった駅員や消防隊員、警察官、救急隊員たちも次々と倒れる事態に。事件発生当時、現場ではサリンによる凶行だということがわからないまま、も二次被害が広がっていきました。 サリンは第二次大戦直前にナチスが開発した有機リン系の毒ガス。常温では無色無臭の液体ですが、気化したサリンは口や鼻、目、耳、皮膚などから吸収され、呼吸筋や心機能をマヒさせます。吸うだけでなく、皮膚に触れるだけでも死に至る可能性があるのです。