ヤマザキマリ「イタリアでは一生分の貧乏と辛酸を体験させられた。当時よく食べていたパスタが、日本の高級イタリアンで1500円で振舞われていて…」
◆料理コーナーを担当するように そんな数あるイタリアンの中でも当時評判だった高級店へ友人に誘われて行った時のことだ。メニューを開くと、私が貧乏時代に毎日食らっていた、“素うどん”ならぬオリーブオイルにニンニクと鷹の爪と塩コショウだけで味付けした“素パスタ”が、1500円で振る舞われている。「ありえない……」と心中の思いを隠すことのできない私は、目の前で美味しそうにスパゲッティを食べている友人に向かって吐露していた。 「これはおそらくイタリアでも最もコストの掛からない一品で、原価はおそらく100円を切っていると思う」 私の発言に戸惑いが顕わになった目で私を見ていた友人だが、咀嚼中のパスタをワインで流し込み、周囲に店員がいないことを確かめて、「ほんと? それ」と小声で問いただした。 私はかつて自分が週に3度以上もこのパスタを食べていたこと、自分たちと同じようにお金の無い友人の家へ行ってもこのパスタが出てきたこと、少しゆとりがある時は50円くらいのトマト缶を買ってトマト味にすると最高にゴージャスな気持ちになれたことなどを機関銃のような勢いの喋りで放出した。 店の人に聞こえようが聞こえまいが、とにかく日本における表層的なイタリアのイメージに同調できずにいる私のストレスは、それらの言葉に変わって放たれ続けた。 すると、隣のテーブルに座っていた立派な身なりの紳士が突然私を振り向き、「どうしてもあなたの声が耳に入ってきてしまうので、すっかり聞いてしまいましたが、もしあなたの言っていることが本当ならば、ぜひテレビで“簡易ローコストイタリアン”というのを紹介してもらえないでしょうか」と声を掛けてきた。 その札幌のテレビ局のプロデューサーとの出会いがきっかけとなって、私のイタリア料理コーナーがテレビで設けられることになったのである。
◆イタリア料理は基本的に庶民の食文化 とにかく私は、日本に蔓延(はびこ)るゴージャスなイメージのイタリアという違和感を払拭したかった。なので、その番組において私が作った料理の品々は、全て家賃もインフラ使用料も支払えずにいた私と同棲していた詩人の彼氏を飢え死にから救ってくれたものばかりだった。 生放送なのでうっかりプロセスを間違ってもつぶしがきかず、それでも強引に押し切って仕上げた料理は必ず推定原価を伝える。すると、北海道に暮らす多くの主婦から「あのガサツなひとのイタリア料理、とても参考になりました」「ローコストで簡単なのは助かります」などといったコメントのファックスが届き、一方イタリア料理店からは「あの女をテレビに出すのをやめてください」という苦情が届きまくったという。 とはいえ、私は嘘を伝えていたわけではないし、たとえばカテリーナ・ディ・メディチを経由してフランス料理の礎になったのがフィレンツェの宮廷料理などとされてはいても、イタリア料理は基本的に庶民の食文化として育まれてきたものである。 フィレンツェという土地では豚でも牛でも羊でも、モツから脳みそ、そして骨髄に至るまであらゆる部位を食する傾向があるが、私が感受してきたイタリア料理というのは東京の赤羽や十条あたりの立ち飲み屋で出される料理に近い感覚がある。 それ以前に、そもそも私はイタリアに限らず日本だろうと世界のどこであろうと、貧乏や困窮した社会を反映しているような、慎ましい食べ物が好きなのである。
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