少年法改正契機から16年 少年法の今を問う
「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ」 これは、1997年に日本を震撼させた神戸連続児童殺傷事件の第1犯行声明文、なんと殺害され切断されて中学校の校門に置かれた被害者小学生の頭部に添えられていました。一連の事件で、2人が死亡、3人が重軽傷を負い、様々に飛び交う専門家の憶測の中、逮捕されたのは当時14歳の一人の男子中学生でした。犯行声明文は以下のように続いていました。 「ボクは殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくて見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を 積年の大怨に流血の裁きを SHOOL KILLER 学校殺死の酒鬼薔薇」 この事件により少年法やマスコミ、教育に関わる数々の問題点が浮き彫りになりましたが、とりわけ注目を集めたのが、被害者側の権利は蔑(ないがし)ろにされ、反面で加害少年が少年法によって保護され過ぎているのではないか、という議論です。 事件と世論を受けて2000年に少年法改正が成立、2001年より施行されました。改正のポイントとしては、大きく二つが上げられると思います。 まず一つ目は「少年犯罪の厳罰化」です。改正前は16歳以上であれば家庭裁判所の判断で刑事裁判に回される可能性がある、という程度だったものが、改正後は16歳以上で殺人など一部の重大犯罪を犯した際には原則として刑事裁判に回すことになり、14歳、15歳であっても家庭裁判所の判断で刑事裁判に回すことができるようになりました。 次に二つ目が「被害者への配慮」です。改正前の少年法には、被害者に対する配慮規定はありませんでした。つまり国からは何もしてもらえなかったということです。改正後は少年保護の範囲内において、被害者またはその家族が、家庭裁判所を通して事件についての情報を得たり、意見を言ったりできるようになりました。しかしマスコミの対応などを取り締まるものではなく、課題は山積しています。 また、6月1日で長崎県佐世保市女子児童殺害事件から9年になります。昼休みに同級生に呼び出された小学六年生の女子児童が、目隠しをした上でカッターで首と左手を切りつけて殺害された事件です。神戸の事件と違い、加害女児はすぐに犯行を認めましたが、その短絡的とも取れる動機と、計画的で凄惨(せいさん)な殺害方法は世間に大きな衝撃を与えました。 この事件と世論を受けて、少年法は更に改正されることとなり、2007年より「おおむね12歳以上(法務省によれば実質11歳以上)」は少年院に送致できることになりました。