飛行中に接触事故 航空自衛隊の「ブルーインパルス」って?
29日午前、宮城県にある航空自衛隊松島基地に所属する「ブルーインパルス」の2機が、太平洋上で訓練中に接触したと伝えられました。この「ブルーインパルス」、「曲技飛行チーム」や「アクロバット飛行チーム」と紹介されますが、どういうチームなのでしょうか? [写真]陸上自衛隊第1空挺団降下訓練
正式には「第4航空団飛行群第11飛行隊」と言い、宮城県の松島基地を本拠地とする航空自衛隊の組織です。各地で行われる航空祭や大きなイベントでアクロバット飛行を行い、航空自衛隊の存在を知ってもらうという広報機能を担っています。航空自衛隊では、曲芸飛行やアクロバット飛行とは呼ばず、「展示飛行」と呼んでいます。 防衛省によると、ブルーインパルスの起源は、1960年3月に現在の浜松基地で公式展示飛行をしたのが始まりです。東京オリンピック(1964年)、日本万博博覧会(1970年)では、機体から煙の尾をひくスモークで五輪やEXPO’70のマークを描きました。アクロバット飛行専門の飛行隊ができたのが1995年で、長野オリンピックや日韓合同開催のワールドカップでも会場上空で展示飛行を行いました。 航空自衛隊の広報サイトには、垂直に降下したあとに花が開くように広がる「レインフォール」、ハート型を矢で射るような形を描く「バーティカルキューピッド」など7つの演目が紹介されています。 「『ブルーインパルス』って機体の名前だと思っていた」という誤解もあるようですが、「ブルーインパルス」が使用している機体は「T-4」です。川崎重工業が製造する国産機で、全長約13.0m、全幅約9.9m、エンジン2基、2人乗りです。もともとパイロットの訓練用に使われる機体ですが、スモーク発生装置を搭載するなどの改造がほどこされています。 「T-4」は使用機種として3代目で、先代は三菱製の「T-2」練習機、初代はノースアメリカン製の「F-86F」が使用されていました。 「F-86F」では、1961年と1965年の訓練中に墜落した事故が2回あり、「T-2」時代には、1982年に浜松基地航空祭での事故、1991年に金華沖訓練時の墜落事故の2回がありました。「T-4」が導入されてからは、2000年7月に訓練中の2機が山中に墜落、乗組員3人が死亡する事故が発生しています。展示飛行中の事故は1982年の一件だけで、それ以外はすべて訓練中の事故となっています。 また、2011年3月の東日本大震災では、拠点とする松島基地が津波の被害を受けました。その際、「ブルーインパルス」は九州新幹線全線開通の記念イベントのため福岡県の芦屋基地にいたため、機体は基地に帰還できなくなりました。