ニュースやドキュメンタリーは「事実そのもの」ではない? 『映画を早送りで観る人たち』著者が語る、現代人の“情報の受け止め方”
もしドキュメンタリーが「作り手の意図と主観まみれ」なものだとしたら、あなたは驚くだろうか。むしろドキュメンタリーの面白さとは、そうした作為性にこそあるとしたら? 【写真】この記事の写真を見る(2枚) 「この本に書かれているのは、発信する側や、メディア業界にいる人にとっては当たり前のことだと思います。でも、一般の人にとってはそうではないかもしれません」 一昨年に『映画を早送りで観る人たち』が大きな話題となったライター、編集者の稲田豊史さん。最新刊『このドキュメンタリーはフィクションです』は、ドキュメンタリーには構成があり、演出があり、それが作り手の“たくらみ”によって成り立っているものであることを改めて示してみせる。 「ドキュメンタリーについて述べた本になりますが、メディアが発信する情報を現代人がどう受け止めているのかということへの僕なりの疑問も込めていて。Xなどを眺めていると、ちょっとセンシティブな内容のドキュメンタリーが放送されたとき『偏向報道だ、恣意的な編集だ!』と騒ぎ出す人がいますよね。何を言っているんだろうと。ニュース番組もそうですが、そこでは当然、素材の取捨選択や時間の圧縮が行われているわけで、客観的で中立的であるということは原理上ありえないわけです。そんなメディア側の常識と、発信された情報は事実そのものだという一般的な認識の間のギャップを埋めたいといった思いもあって」 Netflix『アメリカン・マーダー:一家殺害事件の実録』が満たすミステリーの三要件、東海テレビ『さよならテレビ』での完璧なキャラクター設定――そこにある「作り手の意図」とは。あるいは被写体への「関与」がもたらすもの、ストーリーテリングに孕む「事実の選択」等々。本書は10の論点を設定し、具体的な作品を挙げながらその観方を論じている。 「なかでも『外国人目線と「未開のエンタメ化」問題』という章では、外国人監督が日本人に馴染みのある題材を撮ったときの話をしています。例えば現役最後の靖国刀匠を、国内作品なら崇高そうに描きそうなところ、生活感むき出しで描いている『靖国 YASUKUNI』などの作品を取り上げました。その是非はともかく、外国人目線だからこそできる撮り方に注目していて。撮る方は褒めるにせよ貶すにせよ、珍しがるにせよ、自由な視点を対象に向ける。これは昔からよくある“未開”の部族を面白がるようなコンテンツと同じ構図ですよね」 また本書の論は、TBS『水曜日のダウンタウン』、フジテレビ『めちゃ×2イケてるッ!』などのバラエティ番組にまで及ぶ。お笑いをドキュメンタリーの文脈で捉えるのは新鮮だが、考察には頷くばかりだ。 「『水ダウ』の基本はハードめで凝ったドッキリですが、その本質はほぼドキュメンタリー。僕自身いろいろなバラエティを観てきましたが、面白い番組と面白くない番組は明確に分けられます。『水ダウ』の藤井健太郎さんを始め、誰が制作しているかといった観点はありますが、それは正解の半分にすぎなくて。彼らの番組が面白いのは、彼らがドキュメンタリーの手法で切り込んでいっているから。これはこの本の核心でもありますが、ドキュメンタリーとは、ジャンルではなく手法ですからね」 本書はお笑いから、プロレス、そしてフェイクドキュメンタリーへと論を進める。そのとき、本書の刺激的なタイトルの意味も、自ずと了解されるだろう。 いなだとよし/1974年、愛知県生まれ。ライター、コラムニスト、編集者。映画配給会社、出版社勤務を経て2013年に独立。著書に『ぼくたちの離婚』、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』、『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』などがある。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年11月14日号